こんばんは。未完成な女です。
前回に引き続き、高校時代の部活のことについて書こうと思ったのですが、中々長文を書く気にもなれず、また先延ばしという悪い癖が出ました。
先日のGWの楽しかったお話も書きたいところですが、とりあえず続きを書いてみようと思います。
前回を見ていない方は、宜しければそちらから見て頂けると話の大筋が見えてくると思います。
前回以上に長い話ですので、興味のある方のみ読んでいただければと思います。
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先輩たちが引退した後のサックスパート。
練習についていけず、同期から叱責される。
バリトンサックスには私ともう一人後輩がいて、これまた後輩も上手な子だった。
上手な先輩と後輩に挟まれた下手な私は劣等感がどんどん膨らんでいく。
正直部内で信頼できる友人はいなかった。
顧問は恐怖すぎて相談なんてできるもんじゃない。
両親にだけは心配かけまいと、家の中では泣かず、帰宅中自転車を押しながら上り坂を歩いているときに泣き、家に着くまでには涙を抑えるようにしていた。
ある日ボーっとしていると、見知らぬおじさんに「大丈夫か」と心配されたこともあった。
大会1週間前にあったホール練習はしんどすぎて、休憩時間にトイレの中で過呼吸になった。
とにかくストレスを溜め込み、ダムの水が決壊寸前だったように思います。
ただ、養護教諭の二人の先生だけは信用して、全て話を聞いてもらっていたことだけが救いでした。
全国大会の前日の朝も、私は7時前に学校に着き、準備室の鍵を開け、誰よりも早く練習を開始しました。
この全国大会というのは野球でいうところの春の高校野球のようなもので、選抜で私たちの高校も選ばれていました。
会場は横浜で翌日の早朝に出発し、夕方からの出番。練習できるのは今日だけだった。
こんな状況でも楽器だけは大好きで大好きで、朝は頑張ることができました。
ただこの後起こることの衝撃で、朝から昼にかけては記憶がありません。授業中も楽譜をひたすら読み込んでいたような気がします。
休み時間に保健室の先生のところに行ったという記録だけは残っていました。
多分元気になった報告であったと思います。
昼休みが来ました。
実は朝練は自由だったのですが、昼休みの練習は強制でした。
理由ははっきりと覚えていませんが、何故かその時無性に練習に行きたくなかった私。
朝練をやったし、と昼練をサボってしまいました。
当時普通クラスだった私は、特進クラスで仲が良かった部活外の友人2人と仲良くご飯を食べたいと感じ、彼女たちの教室で身を潜めていました。
もちろんそんな姿をみたそのクラスの部員の子は当然良く思わないでしょう。
友達がいる前で、叱責をしました。
もちろん練習をサボっている私に非があり、叱責した子に罪はありません。
しかしもう限界でした。辛い練習、劣等感、過呼吸。努力しても報われない。しかも、友人とゆっくりご飯食べてるところを台無しにされる。せめて2人が見ていないところに連れ出して言えばいいのに。
決壊は既に少しずつ壊れ始めました。
楽器も楽譜も見るのが怖い。音を聞くことすら恐怖。何も見たくない、聞きたくない。
叱責した部員がどこかに行き、黙ってその光景を見ていた友人たちにはやし立てられました。
「(私)ちゃん、こんな部活やめなよ〜」と。
後から聞くと、軽い冗談で言っていたようですが、この言葉で私は本気になってしまいました。
勢いのまま、まずは保健室の先生に報告しました。
保健室の先生には部活をやめたい、けど決断できないことをずっと話していました。
保健室につき、ドアを開けて話す。
「先生。部活やめにいくんですけど、なんて言ったらいいですか」
「そのまま気持ちいえばいいんじゃない。」というニュアンスのことを言っていただけたので、そのまま職員室に向かいました。
職員室のドアから入ってすぐの机にいる顧問。
私は顧問に声をかけ、話し始めました。
「こんなこと前日に言うことじゃないと思うんですけど、もう部活辞めたいです。しんどいです。」
話しながら涙が出てきました。
泣けばいいもんじゃないことも分かっている。でも泣きたかった。
オーディションはしてくれない顧問だったけど、私が上手になったことは認めてくれていた。
だからほんの少しだけちょっと期待していたのかもしれません。
夏のコンクールの時、オーディションに落ちたショックで体調を崩してしばらく練習に来られなかった同級生には心配で電話をかけ、励ましていたことも知っていました。
私ももしかしたら顧問が励ましてくれるかもしれない、と。
しかしもちろん現実は甘くありませんでした。
私の話が終わると、顧問は私に向かって初めにこう話しました。
「あなたがいてもいなくても、演奏に影響は出ないけどね。」
分かっていました。
励ましてもらっていた同級生は吹奏楽の推薦入学。こっちは一般。
引き留める意味もないってことは分かってたはずなのに。
ただこの言葉が私を確固たる決意に代えてくれました。
「辞めてやる」と。
楽器が好きだった私。音楽だけが生きがいだった私。バリトンサックスがあれば何もいらない。
そうして食い止めてくれた決壊は全て壊れました。
職員室に昼休み終了のチャイムが鳴り響きました。
ご飯を食べた後に職員室に向かったので、時間があまりなかったのです。
「とりあえず授業に戻りなさい」と言われ、職員室をでました。
職員室を出て、扉の前で立ち止まった私はポロポロ涙が出ていました。
その時、昼休み中に職員室前の机で勉強していたらしい先輩が私を見つけました。
「どうしたの。」
「部活やめるって言ってきました」
先輩は驚きながらも背中をさすってくれた。「どうしたの大丈夫だよ」って言ってくれたような気がします。記憶がありません。
5時間目は担任の英語でした。正直そこもあまり記憶がありません。
サックスパートの同級生にメモを書いてた気がします。
同じクラスの部員にもこのことが言えず、とにかく人前で涙を流さないようにと必死で表情を取り繕っていました。
5時間目が終わり、掃除の時間。隣のクラスにいるサックスパートの同級生にメモを渡しました。
『ごめん。やめる。明日の大会行けない。』
勿論掃除・帰りのHRが終わっても、部活に行けませんでした。
後輩には気付かれないように。行くの遅くなるねーって嘘をついて。
この時このことを知っていたのは手紙を渡したパートの同期の2人と顧問とたまたま会った先輩だけ。
そのまま私はずっと相談していた女性の副顧問にこのことを話しに行きました。
顧問にやめるって言ったこと。それで返された言葉も。
副顧問も多分半分呆れてたと思います。けれど、話だけはちゃんと聞いて、理解してくれました。
そこから教室にいる担任に話しに行きました。
ちなみにこの担任も吹奏楽部の副顧問をしていて、事情は何となく分かってくれました。
やめた話をすると、何故か「すごいね」って褒められて。
そこからこの先の話になり、私は三年生になっても普通クラスのままのはずだったけど、部活の人達が多いから気まづいですよねって話しました。
すると担任の先生が
「じゃあ勉強に専念する?」
「特進クラス戻る?」
と提案してくれました。
私にとって、この言葉が救いの道を作ってくれたようで、有り難くて、嬉しかったことを覚えています。
特進クラスには仲のいい友人も多く、同じクラスになれる。
ちなみに翌年の文系特進クラスは特に希望者が少なかったから、すんなり入れることができました。
そして最後に向かったのは保健室でした。
先生に匿ってもらいつつ、話聞いてもらおうと。
そこで私はある女の子と出会います。実は私と名前が一文字違いのMちゃん。
第一印象はちょっときつめの子。
でも、すごくいい子。
類は友を呼ぶようで、Mちゃんもちょうど数か月前に運動部のマネージャーを辞めたりと、いろいろ悩んでいました。
Mちゃんも保健室で勉強してるというので、私も誘われ、のちに勉強し始めることになります。
しかし、当然パートの同期と他のパートの女の子2人が私を話を聞きに探しに来ます。
部屋を変え、3人で話をする。
どうして辞めたいのか、私が話し出す。
もう囚われたくない。
自由になりたい。
好きなことして本当の女子高生になりたい。
的なことを言ったはずです。
ただ、解放されたかったことは事実でした。
他の部活の子を見れば、休日や放課後出掛けていたり、(校則で禁止だったけど)バイトをしたり、(校則で禁止だったけど)メイクをしたり、(校則で禁止だったけど)制服を着崩したり。
一方私たちは土日も1日練習で、休みもほぼありません。
正直よく自分はあの状況で1年半以上も頑張ったと思います。
もちろん他も部員だって、自分と同じかそれ以上に苦労や努力をしているということは分かっています。
ただ正直自分のキャパシティはオーバーしていたのは確かです。
そこから一応話し終わって保健室戻り、少し先生と話をし、両親に電話で連絡をして怒られて。
しかし最寄りの駅まで迎えきてもらえることになり、下校。
最寄り駅には父が車で迎えに来てくれました。
はじめに、私は父にこんな娘でごめんねと伝えました。
すると父は「迷惑かけるのが子供だよ」と言ってくれました。その言葉も私にとって、救いのような言葉でした。
自宅に到着し、両親に顧問との概要を正直に話しました。
そんな言葉を言うような教師なら、まあ辞めてもいいよって言ってくれました。
両親に自分は甘えてるのかもしれない。甘やかされすぎてるのかもしれない。
けれど、疲れ切っていた私の心には少しだけ希望が見えました。
部活を応援してくれていた父方・母方の祖母にも電話した。
母方の祖母は母の話を聞いていたので、心配してくれていました。
父方の祖母は横浜に行くもんだと思ってたから、明日出発するの?って聞いてきたため、話を切り出しにくかった。
しかし、正直に話すと、今までよく頑張ったね、いい音楽聞かせてくれて嬉しかったよって言ってくれました。
とりあえずその日はそのまま就寝。
翌日4時。ほんとだったら大会集合のために起きる時間。
ほんとにいかなくていいの?って母が聞いてきました。
でも後悔はありません。
顧問にあのようにいわれては、今更戻る必要もないから、と。
その日の昼。生理がきていました。
今思えば私には月経前症候群(PMS)というものがあり、イライラしていたんだなあと考えています。
ちょうど母方の祖母が住む地域でお祭りがあるというので、家族についていきました。
そこにいたのは当時2歳の従弟。私に全然懐かない。
けどこの日はなぜが懐いてくれました。
このかわいさが横浜のことを少し忘れられた気がしました。
そして帰宅した夜。
あの日職員室前にいたバリトンサックスの先輩以外の3人の先輩にもちゃんと報告することにしました。
テナーサックスの先輩は前年の夏私と同じく大会メンバーに外れた経験があり、夏の大会前に引退していた為、「夏大変だったよね」と励ましてくれました。
アルトサックスの二人の先輩も心情を分かってくれました。
特にいつも私を機にかけてくれたパートリーダーの先輩からは電話がかかってきました。
私が電話に出ると、彼女が泣いていました。
電話越しのその声に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
私を一番に可愛がってくれていたのは先輩で。優しくて、時に厳しくて。バリトンサックスの先輩と3人でマックのソフトクリームを食べたこともありました。
「またご飯食べに行こうね」と同期の中で唯一言ってくれたのも先輩。
だからこそ、心が痛かった。
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ということで5000字超えそうな高校時代のお話でした。
自分でも書いていて、正直何を言っているか分かっていません。
後日談はまた次回書きたいと思います。