韓国ドラマ見過ぎで@(・●・)@ | 岡田実音オフィシャルブログ「MIO MIO VOICE MAGIC」Powered by Ameba

韓国ドラマ見過ぎで@(・●・)@


一億ウォンとか、よく億単位のお金が出てくるので、改めて調べてみましたビックリマークビックリマークビックリマークひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球



大韓民国ウォン
대한민국 원

ISO 4217コード KRW
使用国・地域 大韓民国
インフレ率 2.2%
情報源 National Statistical Office, South Korea, 2006年
指数 CPI
補助単位
1/100 전 (jeon)
計算上のみで、硬貨・紙幣ともに発行されていない。
通貨記号 ₩
複数形
硬貨
広く流通 ₩10, ₩50, ₩100, ₩500
流通は稀 ₩1, ₩5
紙幣 ₩1000, ₩5000, ₩10000,₩50000
中央銀行 韓国銀行
ウェブサイト www.bok.or.kr
紙幣製造 韓国造幣公社
ウェブサイト www.komsco.com
硬貨鋳造 韓国造幣公社
ウェブサイト www.komsco.com
ウォン

各種表記
ハングル: 원
片仮名:
現地語読み ウォン
ローマ字: Won
大韓民国ウォンは、大韓民国の通貨単位。韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。

北朝鮮ウォンと共通の事柄(名称、分断前の歴史など)についてはウォンも参照。

表示両替

表示漢字表記

非表示歴史

大韓民国の歴史を通じて1つのウォンが使われていたわけではなく、旧ウォン→ファン→新ウォンと、2回のデノミが行なわれている。

1945年 旧ウォン(圓)を導入
1953年2月15日 旧ウォンに替えてファンを導入、100ウォン→1ファン(환; 圜)
1962年6月10日 ファンに替えて新ウォンを導入、10ファン→1ウォン(漢字表記なし)
旧ウォン

大韓民国ウォンの固定相場
日付 旧ウォン/USD1
1945年8月日 15
1947年7月15日 50
1948年10月1日 450
1949年6月14日
(政府間取引以外) 900
1950年5月1日 1800
1950年11月1日 2500
1951年4月1日 6000
第二次世界大戦が終わった1945年に朝鮮銀行は解体し、朝鮮半島のその資産は米ソ軍政府に接収され、後に南の韓国銀行と北の朝鮮中央銀行に引き渡された。

米軍政府に接収された南側の朝鮮銀行は、1950年に韓国銀行が設立されるまでの間、日本統治下に引き続いて最初の南朝鮮のウォン(圓、won)を発行した。ウォンの下には補助通貨チョン(錢、chon)が置かれ、1ウォンは100チョンだった。1945年8月時点では1ウォン=1円に固定されていたが、1945年10月に15ウォン=1米ドルとなり、以後は戦後のインフレーションの進行とともに切り下げが進んだ。朝鮮戦争中の1951年4月1日にはついに1ドル=6,000ウォンとなった2

この時期、当初朝鮮銀行は大蔵省印刷局製造のウォン紙幣のみの発行を継続し、硬貨は日本統治下で通用していた一銭硬貨が使われていた。1946年発行の朝鮮書籍印刷株式会社の印刷による10ウォンおよび100ウォン紙幣は日本統治時代の朝鮮銀行券と類似したデザインであったが、日本を象徴する桐紋に代わりムクゲの花に上部の紋章が変更された。1949年発行の5ウォンおよび10ウォン紙幣は寿老人の肖像に代わり独立門の図案となった。このとき同時に5、10、50チョンなどの小額紙幣も発行された。1950年には韓国の中央銀行として韓国銀行が発足したが、直後に勃発した朝鮮戦争でソウルを占領した北朝鮮軍は予備として保管してあった1000ウォン紙幣を使用し大量に流出させた。韓国は新たに日本の印刷庁で製造された韓国銀行券1000ウォン、100ウォン紙幣を発行し朝鮮銀行券と交換した(第1次緊急通貨措置)。51年10月、韓国造幣公社が設立され、紙幣の国内製造が再開された。

韓国銀行券 1 (朝鮮語)
画像 額 幅(mm) 色 柄 日時 印刷
表 裏 表 裏 発行 終了
100 158 × 78 茶 光化門 額 1950年7月22日 1953年
2月17日 印刷庁
500 145 × 61 青 李承晩 タプコル公園 1952年10月10日 韓国造幣公社
1000 171 × 78 緑 額 1950年7月22日 印刷庁
145 × 61 青 タプコル公園 1952年10月10日 韓国造幣公社
ファン

大韓民国ファンの固定相場
日付 ファン/USD
1953年2月15日 60
1953年12月15日 180
1955年8月15日 500
1960年2月23日 650
1961年1月1日 1000
1961年2月2日 1250
この旧大韓民国ウォンは1953年2月15日に新通貨ファン(圜、hwan)が導入されたことで役割を終えた。100旧ウォンは1ファンと交換され、1ドル=60ファンとなった(第2次緊急通貨措置)。合衆国政府印刷局が印刷した1ファン、5ファン、10ファン、100ファン、1000ファン各紙幣が流通し、1959年からはファン硬貨も発行された。1959年以降、韓国の紙幣や硬貨における漢字表記はなくなり英字とハングルのみとなっている。

ファンの下にも補助通貨チョン(錢、chon)が置かれ、1ファンは100チョンだった。ただし、チョンの硬貨は発行されず、チョンが使われることはなかった。

しかしファンも、李承晩大統領が独裁権力を振るう第一共和国時代の政治と経済の混乱でインフレーションが起こり米ドルに対する価値が下がっていった。1960年には不正な大統領選挙をきっかけに四月革命が起こり第一共和国が倒され、第二共和国へ移行した。政治や経済は不安定さを増し、1960年の秋以降、失業率や物価の上昇でインフレーションが急速に進み、1961年1月1日には1ドル=1000ファンに、2月2日には1ドル=1250ファンへと価値が急落した。

ファン硬貨 2 (朝鮮語)
画像 額 硬貨 柄 日時
表 裏 幅(mm) 重量(g) 材質 表 裏 鋳造開始 流通 終了
10 19.1 2.46 銅 95%
亜鉛 5% ムクゲ, 額, 銀行名 額, 国名, 鋳造年 1959年 (檀紀4292年) 1959年10月20日 1975年3月22日
50 22.86 3.69 亜鉛 70%
亜鉛 18%
ニッケル 12% 亀甲船, 額, 銀行名 額, 国名, 鋳造年 1959年 (檀紀4292年) 1959年10月20日 1975年3月22日
100 26.0 6.74 白銅
亜鉛 75%
ニッケル 25% 李承晩, 額, 銀行名 1959年10月30日 1962年6月10日
新ウォン

大韓民国ウォンの固定相場
日付 KRW/USD
1962年6月10日 125
1964年5月3日 255
1972年8月3日 400
1974年12月7日 480
1980年1月12日 580
1961年5月16日に起こった5・16軍事クーデターで第二共和国は倒され、朴正熙少将が権力を握る国家再建最高会議(軍事政権)が誕生した。この政権は経済再建と経済開発を優先し、翌1962年には第一次五ヵ年計画と通貨改革を実行に移した。1962年6月9日に新たな大韓民国ウォンが登場、1ウォンは10ファンと交換され1ドル=125ウォンに固定された(第3次緊急通貨措置)。補助貨幣はチョン(英語表記は「jeon」に改められた)であり1ウォンは100チョンとなったが、今日チョンが実際に使われることはない。この通貨改革によりようやくインフレーションは緩やかになった。

1970年代前半は石油ショックの影響もあり1972年と1974年にウォンが切り下げられた。1980年1月12日には1ドル=580ウォンとなったが、同年2月27日には変動相場制への移行が始まった。アジア通貨危機の最中の1997年12月24日、国際通貨基金(IMF)との合意により完全変動相場制へと移ったが3、その後ウォンのドルに対する価値はわずかな間に半分に落ち込んでいる。

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表示流通貨幣

非表示為替レート

公式にはペッグ制は採用していない。90年代後半以降、ドルや円に対して大きく変動してきている。

アジア通貨危機の克服以降、1円 ≒ 10ウォン程度で安定して推移していた。2005年頃から急激なウォン高が始まり、2007年時点では約7.5ウォン近辺、その後の円高ドル安傾向もあって8ウォン台で推移していた。

しかし2008年には1円 = 10ウォンの大台を突破した。同年9月末には世界金融危機の影響から、韓国通貨危機が発生、12ウォン越えをし大幅なウォン安が起き、10月7日にはついに13ウォンを突破。その後は乱高下を繰り返しながら通貨危機当時の1円 = 14.85ウォン水準に日に日に近付いていたが、10月27日には売値・買値ともに15ウォンを突破し、さらに12月5日には一時的ながら16ウォンにまで達し、2009年2月20日には再び16ウォン台に突入、対円での史上最安値を更新した。その後は通貨危機前の水準に戻しつつある。

JPY/100KRW(100ウォンが何円か。数字が大きいほどウォン高)
年 月
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


大体日本円にすると10分の1くらいなんですねニコニコ




今から新宿に行ってきますひらめき電球車車車


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