【2日目】2019/07/01 (mon) 
職員が「シャルアラームに戻って取り調べをする」と言っていた2日目の朝。
そんな予感はしていましたが約束の時間になっても職員は迎えに来ませんでした。
インドネシア人、ネパール人のお姉さんや赤ちゃんはその日別の収容所に移動になるとのことで彼女たちも身支度をして待っていました。

職員が来て、先に彼女たちが出ていくと「お前らも来い」と呼ばれました。
取り調べに行くため部屋を出るのだろうと思ったら何故かインドネシア人、ネパール人の方々と同じ鎖の付いた手錠を繋がれました。
嫌な予感がし、英語が話せる者が「私達はシャルアラームに取り調べに行くはずだ」と職員に言うと「あーはいはい」という反応でまったく聞いている気配がありません。
待機していろと言われ、床に座らされ待っていると1人若い男性職員がやってきて、みおに屈辱的なことを言いました。
「お前がみおか?さっき友達と、お前のこと超ゴージャスだって話してたんだ、みお。」とニヤニヤしながらその友達とみおのことを見て口笛を吹きました。
女性としてとても辱められたと思い2人でその職員を睨みつけましたが、それも面白がられてしまい、何もできないこの状況がとても悔しかったです。


そして迎えの車が来て、外に呼ばれるとそこから先は衝撃の連続です。
まず乗れと言われた車は、無骨な黒の車体、後ろに檻がつき、目隠しのように更に黒の布覆われた...映画でしか見たことがないような奴隷を移送するような車を想像してもらえたら近いのではないかと思います。
(あまり良くない表現で申し訳ありません)

床にはお菓子のゴミ、タバコの吸い殻、ぐしゃぐしゃの雑誌は勿論、本当に最悪と思ったのはコンドームのゴミまで落ちていたのです。

頑張っても15人が限界だろという座席に押し込められ、男性はそのゴミだらけの床に座らされる者もいました。
幸い、赤ちゃんを抱いた女性だけは職員の車で連れられていきましたが、そこには25人程の人間がぎゅうぎゅう詰めになりました。

2時間弱揺られることとなるその車の運転の荒らさは本当に酷いもので、体調を崩し嘔吐しかける人も出ました。
途中スコールが降り出し、隙間だらけの檻の中にその雨が吹き込み、みんな雨でびしょびしょになりました。

何故この車に乗せられたのだろうか?
シャルアラームで取り調べだったはずでは...

私達4人は混乱しました。
憶測ではありますが、この移送は職員のミスだったのではないか...と思えてなりません。
後々その理由も書いていきますが、私達は恐らく間違ってインドネシア人とネパール人の皆さんと別の収容所に移送されてしまったのではないかと思います。
もし間違いでなかったとしても、前日職員が「シャルアラームで取り調べをする」と言っていたのは完全に嘘をつかれたということになります。


到着した施設(以降Hイミグレーション(仮)と記載)でまた衝撃の光景が。
野外にある吹きさらしの監獄が並び、そこにはすでに様々な国の収容者が入れられていました。
ただ、そこに居る人達は手錠をかけられ鎖で繋がれてはいるものの、悲壮感はなく、笑いながら談笑しスナック菓子やジュースを飲んでいました。
後から話してわかりましたが、彼女たちはパスポート切れで働いていたことなどが理由で収容され、今回がはじめてではなく何回目かの収容という人も多く居たのです。
つまり、こういった環境や扱いに慣れていたのだと思います、
(※そういった人の中に、職場で虚偽の就労ビザで働かされているのを気付かずに働いていて、入国審査局に捕まってしまったという女性も居ました。それを聞くともう何を信じれば...という気持ちにもなります。)

私達ははじめての経験だったため、「こんな吹きさらしの檻に入るのか...」と思いました。

うだるような暑さの中、檻の中で2時間ほど待たされていると、日本語が話せるイミグレーションセンターの男性職員(役職がある方のようです)に話しかけられました。
彼は最後まで関わってくるためここではPさんとお呼びします。
Pさんに「あなた達、日本人ですか?何故ここに来たか知ってる?」と聞かれました。
ある程度事情を説明した後「ですが、拘束された理由は聞かされていなくてわかりません。」と言うと「そっか...」と彼も少し考え、「分かった、ちょっとまってて。」と言い、事務所に戻っていきました。
そのときのPさんの様子を見ても、ここHイミグレーションセンター(仮)では私達が移送されて来た理由がよくわかっていないのでは...?と感じました。

そのあとは恐らく事務所でその収容所に入るための手続きをし(※ここでも私達に説明はなしだったため恐らくという表現です)ボディーカードというものを渡され更に施設の奥へと誘導されました。

このとき、Pさんに貴重品や上着、靴を預けるよう言われ、ここからノースリーブに裸足で生活しなければならなくなってしまいます。
でこぼこのコンクリートを裸足で歩くととても痛くて早く歩けませんでした。

そして、小さな小屋のようなところで待機し、その中にある小部屋に10名ずつくらいが呼ばれました。

そこで服や下着をすべて脱げと言われ、何をするのか聞いてもとにかく脱げと言われます。

全員が全裸になると、7回ゆっくりスクワットをさせられました。全裸のまま。

とても屈辱的でした。
所謂ボディチェックです。
体内に持ち込んではいけないものを入れてはいないか等、ここで調べていたのです。
当たり前に私達はそんなもの持っていない。そんな目的でこの国に来ていないから。
他の収容者は笑っていましたが、とても私達は笑えず、さらに悔しさや悲しさが込み上げて来ました。

持っていた食料の袋の中身も調べられ、ピアスやリップ、タオル等はそこで捨てられました。

ここから、収容所の更に奥へと進みさらなる衝撃の拘束生活が始まります。