大好きな映画です。
なんども見ました、市川崑監督の日本橋。
原作は泉鏡花です。

私は幼い頃から、芸事をなさる方達に憧れていました。
美しいお着物を纏って踊ることや三味線などのお囃子、女優さん、お能に落語、映画の中で知る生活や芸事の世界に興味がありました。

素敵だなぁ羨ましいなぁという、美しくて儚い世界をただただ見ている、理不尽な境遇(女衒や女性の生き方ですね)が切なくで、でも、とっても美しくて、気になるのです。

大人になっても、ホラー映画や爆発、殺人鬼の映画は怖くて観れず、昔の映画または、安心して観れるばかり見ています。

最近、私自身変化の時を迎えているような気持ちになって、スピリチュアルの世界が気になっていて、腑に落ちるところも多いのですが、同時にとても不安に思うこともあります。

それは私があまりにアナログ人間だからです。

ブログやツイッターを始めてから、色んなことを知る機会があるのですが、それらは私が気になり調べて、SNSを始めなければ知り得なかったのです。

救われることも多く、感謝しているのですが、集団の恐ろしさも感じています。

少し前にトランプさんのツイッターが凍結されてしまいました。
たくさんの方に支持されている有識者の方は
「当たり前だ、飲食店でも他の方に迷惑になれば出禁になるのと一緒だ、ツイッターも一企業ですからね。」と言いました。

そして、
「凍結はおかしいのでは?」
と言った別の有識者の方は叩かれ過去の発言まで持ち出されて、こういう思想の人だからね…と、言われたりしていました。

とても恐ろしいと思いました。

誰の味方をするわけでもないのですが、正論なるものは大切だと思います、それで世の中が成り立ってきたのですから。

しかし、共生はもっと大切ではないですか?

正論という鎧が見えない武器で人の心を攻撃します。
かさぶたは剥がれても傷跡はなかなか消えません。
勇気を出して発言したことや信じていたことが、正論と言う鎧を着た大衆に、批判され討論なく、つるし上げ叩かれてしまうなんて、恐ろしくないですか?

嫌ならSNSを見なきゃいい。

そうですね、しかし、良くも悪くもあらゆる情報の宝庫、国や地方自治体も参加してますので、必要不可欠になっていますよね。

私自身、アナログ人間なので、ネット上で分断を感じています。
どうしたらフェアに気持ちよく意見を語り合えるのか…

そう思ったときに、文壇バーや喫茶店で熱く語り合う、今は昔の景色でした。

集い、顔を合わせて、意見をぶつけ合う、おそめさんのようなママがカリスマだった時代です。

もうリアルに復活しそうにない、そんな時代に思い馳せて、日本橋をまた観たくなりました。

とてもとっちらけの散文ですが、読んでくださった方、ありがとうございます。SNSに思ったことやスピリチュアルの気になることが全部書けませんでした、また次に書いてみたいと思います。