ちょっと前のことなんですが
道を歩いていてね、転んだんですよ。
 
 
横断歩道の信号が
赤に変わる前に渡り切りたいな
と思って、小走りになったのがいけなかったか
 
 
あ、転ぶ!
と思ったときにはもうどうにも支えきれず
転倒し、両手に擦過傷。
 
 
手袋していたのに、かなり
えぐれる出血がありました。
 
 
立とうと思っても
両膝が激痛で、立てないでいると
ちょうどそこにいた児童の見守りのおじいさんが
横断歩道の向こうまで
連れて行ってくれました。
ありがたいおねがい
 
 
でも、信号を渡り切りたかったほど
私は先を急いでおりまして
痛みをおしてなんとか駅へ向かいました。
 
 
まあ転ぶことなんか
人生で何度も経験していますから
それで大ごとになるとは、思いもせず
 
 
翌日に全身に痛みが出たときも
「運動不足による転倒後の筋肉痛?」

と思っていました。

 

 

が、転倒から3日目には

呼吸するのもつらいし、うつぶせにもなれないので

「あ、これはおかしいな」

と思って、病院に行ってみると

肋骨の奥の骨、骨折していました笑い泣き

 

 

でもね、肋骨のあたりの骨折って

日にち薬で治すしかないらしく
シップと鎮痛剤とサポーターをまいて
約ひと月ほどで治すそうです。
 
 
今は、もうひと月以上経っていて
おかげさまで、肋骨は治ったみたい。
 
 
ですが、ずっと膝が痛くて
少し前にレントゲン取ると
膝も、強打した方の炎症がひどいらしく
こっちが難治性のようです。
 
 
でね、実は他にも色々ありまして。
 
 
それはまたの記事にするんだけど
今、思うことは、起こったことに対して
一喜一憂するのを止めようってこと。
 
 
楽しいことがあったり
嬉しいことがあったら
喜びますよね。
 
 
でも反対に、イヤなことがあったり
ツラいことがあったり
憂鬱なことが続いたりすると
 
 
何で自分ばっかりこんな目に合うの?
なんて不幸なの?
 
 
とか、思ってしまいがちですよね。
 
 
だけど、自分の期待しないことが起きても
いつも自分の中で中庸の自分でいることが
すごく大事なんだと、感じられるようになりました。
 
 
中庸の自分とは、
自分の土台、軸がニュートラルな状態。
 
 
どっちにもブレない自分。
 
 
で、願わくばその中庸が
いつも、明るく、朗らかで、太陽のような笑顔の状態でありたい。
 
 
いいことがあってもなくても
この自分をキープすることは、凡人の私にはかんたんではない。
 
 
だけど、そうありたいなキラキラ
と思うこの数か月に自分が直面していることで
強く思うようになりました。