運のいいオンナがやってきたことの
エピソードから、何が功を奏したか
ヒントになればいいな、と思って連載します。
 
 
自慢して書いているんじゃなくて
読者さんの今後の言動が目指す方向へ
変っていくヒントになればと書いていきます。
 
 
離婚した頃、FP2級を持っていて
保険会社関係で
安定した職を探していました。
 
 
とはいえ、正社員として
働いていたのは
子どもが生まれる前。
 
 
それからはパートで事務をしていたので
キャリアとしては、今一つ。
 
 
正社員の求人に申込もうにも
子どものお迎えや住んでいる家の場所など
総合的に考えると結構きびしい。
 
 
残業や出張は
シングルで障がいのある子を育てている
身としては、なかなかね~。
 
 
そんな時、見つけたのが
期間限定(3か月未満)の派遣。
 
 
派遣会社の人いわく
「とにかく、一回働くことで
次を紹介しやすくなりますから」
ということなので、まあリハビリには
ちょうどいいかな~?と思って始めました。
 
 
この仕事が結構合っていて
むずかしい案件をさばくときほど
めちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。
 
 
たくさん同じ仕事をする派遣がいるんですが
率先して案件を取らない人
カンタンな案件を選んで取る人もいた。
 
 
がっつりやっても、適当にさぼっても
同じ給料ですし、どうせ先の短い仕事。
 
 
そういう態度の人が
むずかしい案件取ってしまい、わめいていたら
 
 
「じゃ、私やります~!!できました~~!!」
って仕事する私は、レアな存在ですよね。
 
 
文句言わずにむずかしい案件で悩む人には
相談に乗って、一緒に完成させていました。
 
 
そういうところ、見る人は見てました。
 
 
この仕事は、短期のセレクトチームなので
日常業務の仕事は、入れ替わり
女性の課長クラス以上の人がチェックを担当。
 
 
チェック自体がまちがっているときもあり
そういうときは、私は指摘するので
「目ざとい子だな」とイヤな顔をする人もいたけど
 
 
「よくこのややこしいのカンペキに仕上げましたね」
と、たいていの人は賞賛していました。
 
 
そんな中、期間より早く
仕事が落ち着いたため
チームの早期解散が決定。
 
 
みんな突然職を失うことになりました。
 
 
多くの人は、文句と不満でブーブー。
 
 
でも、さすが大手です。
他の部門の別の仕事で再契約できるよう
適材適所に配置しようと
面談をしてくれたんですね。
 
 
もちろん、ブーブー言う人は
最後の最後まで決まらずに
再契約にはなりませんでした。
 
 
私は、希望を聞かれたので
「AFPと損保の募集人資格も取ったし
電話対応もできます」
と言って、後はお任せしました。
 
 
ずっと見てきてくれていた
たくさんの上司もきっと
口添えしてくれたんでしょうね。
 
 
一人だけ、契約社員になり
転勤予定の総合職の男性の
職務の一部を担う仕事を
その会社として初のポジションが
与えられました。
 
 
とはいえ、全店初のポジションなので
処遇を本店が決めかねていました。
 
 
1つの職種の処遇を決めるには
社内規定を変更しないといけないので
大きな会社では、大問題なんです。
 
 

で、取り合えず似たポジションの

別の職務の人たちのものを流用。
 
 
それはあまりいい条件じゃなくてね。
 
 
私がシングルマザーなことと
子どもが大変なことを知って
 
 
それはあまりに気の毒だと思ったみたい。
 
 
だからここでは言えないくらい
色んなところで特別待遇にしてもらったんです。
 
 
私を採用するにあたっては
支店長の肝いりで作ったポジションのため
失敗は許されません。
 
 
直属の課長はエリートすぎて
超、社員にキビシイ人でした。
 
 
ですが、支店長も課長も
銀行元副頭取の顧問も
育成担当の女性課長代理も
二つのグループ会社の支社長と
その営業社員の男性陣も
 
 
めちゃくちゃ親切にしてくれました。
 
 
何でかな?と当時は不思議だったけど
「プロパー社員は度胸がないので
同じことできる社員はいない」
と課長が言っていました。
 
 
私がしていたことは
損害保険会社の社員として
グループ会社すべての保険の代理店営業を
金融機関(銀行など)に一人で回ること、でした。
 
 
金融機関に営業周りすることに対して
苦手意識があったみたいなんですね。
 
 
当時AFPの資格を持っていたのですが
当時はまだ総合職でも
持っている人は少なかった。
 
 
金融のプロに会いにいくには
みんな自分の知識不足が
恥ずかしかったんだと思う。
 
 
で、それを淡々とやったので
評価されたんだと思う。
 
 
つまりね、人の嫌がることを
率先して、黙々とやる人ほど
周りが支援したくなる。
 
 
それが最大の理由じゃないかな?
 
 
もちろん、資格を持つことは
それが重要かつ難関であるほど
周囲は認めてくれやすいですしね。
 
 
でもね、女性の支援者なんか
課長代理以外ゼロです。
 
 
派遣社員も、契約社員も、プロパーも
女性は「誰、あれ??」
って感じで冷たかったよ。
 
 
一緒にランチする人もいなかった。
 
 
だけど、男性陣が連れて行ってくれたし
もちろん、おごってくれました。
 
 
人は「同じ」と思う人には
「好き」って思えるし
「違う」と感じる人には
「なんかキライ」って思うもの。
 
 
私の言動は仕事のできる人には
「同じ」と思ってもらえるけど
 
 
陰口たたいたり、不平不満の多い人には
「違う」と思われるので嫌われる。
 
 
まあ、そんな人には嫌われた方が
むしろ、いいんだけど。
 
 
でも、まだ若かったから
一人の時はサミシイ想いも当然しました。
 

 

できる人たちの多くは

 

自分の部下の相談を受けても
自分は部下に相談しません。
 
 
相談する人がいなくて
オオモノは占い師にしか
相談しない人もいますよね。
 
 
でもね、なぜか当時
私はその上司たちから
たくさん相談を受けていました。
 
 
プロパー入社じゃない雑草の
たたき上げだから人生経験は、豊富。
 
 
すごい上司が仕事やプライベートのことを
相談してくれたとき
 
 
「私はこう思います。こうするといいと思います」
とその都度、自分の意見を伝えました。
 
 
今思えば、それだけ
信頼してくれていたんでしょうね。
 
 
だから、親切にしてくれる。
信頼関係の循環が出来ていたんですね。
 
 
ちなみにね、当時はCFPの勉強だけでなく
読書もかなりしていました。
 
 
営業周りでは、本から得られる
たった1文の引用でも
興味を持たれるきっかけにもなる。
 
 
自己啓発の意味もかねて
本をたくさん読んでいたことで
上司の相談に対応できたのかもしれない。
 
 
1年も経たないうちに、ビッグたちが
もっと処遇をよくしてあげたいと
正社員になれるように取り計らってくれました。
 
 
本店の偉い方も来られて
「よく今までその処遇でがんばってくれた。
本店の方は、こちらで対処する」
とねぎらってくれました。
 
 
でも子どもが不登校だったので
登校を支援するために
会社を辞める決断をしました。
 
 
この時ね、キビシイ課長には最初
正社員になると告げていたんです。
 
 
でも、「正社員になったら子どものことを
見てあげられる時間が確実に減る。
今のままの処遇で、不登校支援が
できるようこっそり援助する」
と提案されました。
 
 
だから、正社員も断って
辞めることにしました。
 
 
今まで以上に援助してもらったら
給料ドロボーみたいになるからね。
 
 
起業したサロンにお祝い持ってきてくれたり
困ったときはいつでも
連絡してって言ってくれたり
お別れの会を開いてもくれたし
 
 
いつか、うちでセミナーできるようになってと
エールを送ってくれました。
 
 
取引先の銀行や信用金庫のみなさんも
雑草の私でも受け入れてくれる人が
本当に多くて、実績をたくさん積めました。
 
 
いくつかのキャンペーンを成功させ
日経新聞にも取り上げられたし
会社の利益も相当膨らんだと思う。
本店の会議にも呼んでもらい、発表もしてもらえました。

 

 

 

今振り返っても結構大変な仕事でしたが
本当にやりがいがあったし
いい勉強ができ、その後の転職でも
きちんと実績をアピールできたので
 
 
保険会社関係の転職で
有利になったことは間違いなく
この経験が運を運んでくれました。
 
 
運のいいオンナがやっていたこと①結論
 
  • 積極的に知識を入れること
  • 人の嫌がることを率先してすること
  • 不平不満を言わないこと
  • 自分の意見を持つこと
  • 淡々と目の前のことをやること
  • 求められていることをやり遂げること
 
私を見出してくれて
信頼して任せてくれた支店長は
数年前に役員になったそう。
 
 
いつかお礼ができるといいなと思います。