2018年8月7日 抗がん剤副作用(粘膜障害)
こんにちは。
今回は抗がん剤の副作用の一つである
粘膜障害について、
お話しようと思います。
抗がん剤2クール目2回目の抗がん剤を
投与した2、3日後だったと思います。
熱が出て、喉が痛いから
始まりました。
そのうち、
喉から口の中が痛いに変わり、
口の中を見ると
唇の内側にびっしりと
口内炎ができていました。
私の感覚だと
口内炎といえば、
少し徹夜が続いたり、
生理前だったり、
栄養状態のバランスが崩れた時に
口の中に1、2個できる、
ニキビのようなイメージでした。
実際に調べてみても、
口内炎の原因は下記のようでした。
・ストレスや疲れによる免疫力の低下
・睡眠不足
・栄養不足(ビタミンB2の欠如)
1クール目の抗がん剤の時には
口内炎はできていなかったので、
今回は免疫力が低下してきたのかなと
思います。
通常では考えられないほど
免疫力が低下しているために、
口の中が腫れ上がるほどに
口内炎ができてしまったのかなと
思います。
病院からは塗り薬が出ましたが、
薬を塗るのも痛く、
綿棒や、
ピンセットに化粧用のパフを
小さく切ったものをつまんで
どうにかして薬を塗っていました。
当然、ご飯など食べることができず、
飲み薬も必死で飲むというような
状態でした。
口内炎にはビタミンB2が効く
とのことで、
ストローでビタミンB2を含んだ
ドリンクを少しずつ飲んでいました。
2、3日ぐらい経過すると
口内炎もだいぶ治りましたが、
父の様子から、
たかが口内炎と言えども、
口の中を切り裂かれたような
痛みに見えました。
口の中は痛覚があるため、
痛みを感じることができますが、
体の臓器は痛覚がないため、
痛みを感じません。
おそらく、口の中だけでなく
体の中の粘膜も
とても荒れていたんじゃないかなと
思います。
口内炎のため、
より経口摂取できる食事量が
少なくなりました。
口内炎が起きるということは
体の免疫力が低下しているという
ことなので、
こういう時ほどバランスのある
食事を摂りたいんですけどね。
もし、
少しでも食べ物を口に入れることができるなら
・カロリーメイト(ゼリー状)
・メイバランス
等をお勧めします。
液体、ゼリー状なので
口への負担が軽く
少量で、カロリーを
摂取することができます。
よく食べて、
よく寝ることで、
少しでも体は抵抗力を
取り戻してくれます。
基本が大切ですね。
どうか少しでも副作用を軽減して、
病気と闘うことができますように。
(番外編)本のご紹介
こんにちは。
今回は番外編として、
本のご紹介をしたいと思います。
先日久しぶりに友人と食事をし、
父のすい臓がんの看病をずっとしていた、と
話した際に紹介された本です。
友人曰く
「本当は前から勧めようと思っていたのだけど、
辛い内容も含まれているから、
少し時間が経ってからの方が良いと思った」
とのことでした。
紹介されたのは、
瀧波ユカリさんという漫画家さんの
という作品です。
作者のお母様が、
すい臓がん(ステージ4a)になられ、
その闘病生活を描いたものになります。
もともとこの漫画家さんは
コメディ?寄りの漫画を描いているためか、
すい臓がんの闘病生活という
身内の生死を含んだ
重いテーマでも、
深刻になりすぎない感じで
描かれています。
私の父の時の場合と
似ている部分が多々あり、
私はできれば父の闘病中に
この漫画と知り合いたかったなと
思いました。
がん患者の気持ちや
看病する立場の気持ちが
理想を抜きにして
少し、クスッとなるようなタッチで
描かれていて、
どうやってその気持ちと
向き合えば良いのかという部分も
物語のいろんな部分に
ヒントが散りばめられています。
闘病や看病に悩まれている場合は
ぜひぜひお手に取って
読まれることを
お勧めします。
気休めかもしれませんが、
こういう時ほど、
気休めって大事なんだと思います。
1冊読み切り型で、
Kindleバージョンもあります。
2018年7月18日 抗がん剤の副作用(味覚障害)
抗がん剤が再開されました。
2018年6月28日のブログでも書いたのですが、
抗がん剤の副作用には下記のようなものがあります。
<副作用>
・毛髪が抜ける
・味覚障害
・便秘
・倦怠感
・粘膜炎症
父の場合は特に、
「味覚障害」「便秘」「粘膜炎症」が
ひどかったように思います。
「味覚障害」のために、
食べられるものが極端に少なくなり、
食事の量がどんどん少なくなりました。
恐らく病気の影響もあったのだと思いますが、
この頃から抗がん剤を投与している
約2ヶ月間はほとんどまともに
食事をしていなかったと思います。
そこまで味が変わらずに食べれていたものは
下記のようなものでした。
・スイカ
・パイナップル
・かき氷(白熊、イチゴ、ソーダ)
・C1000レモンというドリンク
しかし、食べれない時は上記のものも
食べれませんでした。
体重は70キロほどありましたが
最終的には40キロ台まで落ち、
20キロ強痩せてしまいました。
父は昔からグルメだし、
頑固だったため、
味覚障害が出てからは、
食べる楽しみがなくなり、
私たちがそれでも食べるように促しても
なかなか食べてくれませんでした。
私も初めは、味が変わるだけで
そんなに食べれなくなるものかと
中々ご飯を食べてくれない父に
もどかしい思いを抱えました。
けれども、ふと、
私も妊娠初期に
つわりでほとんどの食べ物が
食べれなかったことがあったことを
思い出しました。
何を食べても不味くて、
吐き気がして、
ずっとガリガリくんだけ
食べていました。
だから、辛い気持ちがわかってしまって、
父に、無理に食事をすすめることが
できませんでした。
でも、
今この時期に戻れるなら、
何が何でも食事を摂るべきだったと
思います。
父は闘病の後期に差し掛かると
体力、免疫力が落ち、
それが引き金となり
命を落としました。
がんの治療に
体が耐えられなくて
死んでしまったのです。
体力と免疫力をつけるには、
適度な運動と
バランスの取れた食事を
摂ることしかありません。
こればかりは、
手術や薬ではどうにもできないのです。
もし、抗がん剤による治療を受ける場合は
抗がん治療に耐えられる体を
キープできるよう、頑張ってください。
抗がん剤はがんを退治する薬です。
でも、がんは体の一部であるため、
抗がん剤は体の一部を攻撃する薬であるとも
言えます。
その抗がん剤に負けない
体力と免疫力をつけて、
がんと闘ってください。
次回は、抗がん剤の副作用(粘膜炎症)について、お話ししたいと思います。
2018年7月12日 抗がん治療再開(サイクル① 3回目)
抗がん剤中止から約10日後。
少しだけ、嬉しいことがありました。
あれから、
抗がん剤治療が中止になったことは
結局父には言い出すことが
できませんでした。
血液検査の結果があまり良くなかったから
今週は抗がん剤は中止とだけ
伝えました。
しかし、その次の週の月曜日。
血液検査の結果、
黄疸の数値が改善しており、
この状態が継続できれば
その週の木曜日に抗がん剤治療を
再開できるかもしれないとのことでした。
余命が1ヶ月と言われた時は
このまま坂道を転がり落ちるように
容体が悪化するのだろうなと
何の希望もありませんでした。
けれども、こんなことってあるんですね。
抗がん剤の副作用である味覚障害のため、
食欲が落ちていた父ですが、
7月4日頃には何か食べれるものを
見つけようと
色んな食材を母に頼んでは、
病室でチャレンジしていました。
そして週末には先生の許可を得て
一時帰宅をし、
姉夫婦とその子供たち(孫)と
楽しそうに過ごしていました。
その後の血液検査の結果が
良くなっていたのです。
きっと、
・病院の規則正しい生活
・帰宅したことによるストレス解消
・栄養を取ろうと努力したこと
・抗がん剤の効果
などが、病気を少しだけ
改善してくれたのだと思います。
まだ、
病気と闘うことができるのだと
勇気が出ました。
たった1回しか抗がん剤は
投与していないのに
父には少なからず
効果があったようでした。
2回目の抗がん剤は
投与することができませんでしたが、
諦めていた3回目の投与は
無事にその週の木曜日に
行うことができました。
お父さん、
また一緒に頑張れるね。
頑張ろうね。
次回は、抗がん剤の副作用についてお話ししたいと思います。
2018年7月6日 切迫早産からの絶対安静
今回は少し私のことについて、お話ししようと思います。
私は高校生まで地元におり、
両親と暮らしていました。
大学からは都内の大学に進学し、
就職も東京だったため、
かれこれ十数年間親元を離れ、
東京で一人暮らしをしていました。
2017年に縁あって結婚をし、
2018年のお正月に
妊娠が発覚しました。
私は昔から勝気で
上昇志向が強く、
こうと決めたら
譲らない性格でした。
本当は両親とも、
地元の大学に行くことを望んでいましたが
どうしても東京に行きたいという
我儘を突き通して、
親元を離れました。
就職してからも、仕事ばかりで
中々結婚する気配がない私を
表面には出さないものの
いつも心配してくれていました。
今回、父のがんが発覚したのは
私が里帰りを予定していた1ヶ月前のことでした。
親元を遠く離れた私は、
両親の死に目には立ち会えないかもしれない
という思いはいつもどこかにありました。
けれども今回のタイミングで
父の病気が発覚し、
私はどこか少し、安堵する思いもありました。
この危機を、両親の側で支えることができる。
こんな偶然は無いと思いました。
言葉にすると陳腐な妄想になってしまいますが
神様が、
お腹の子供が、
両親を支えなさいと
言っているのだと思いました。
そう思って、頑張り過ぎたのかもしれません。
帰郷して初めて行った
地元の産婦人科で受けた妊婦健診で、
子宮頸管が短くなっているため、
切迫早産の可能性があるとの診断でした。
頸管の長さは23ミリで
この長さが20ミリを切ると、
入院しなければならないと言われ、
自宅で絶対安静を余儀なくされました。
産休の手続きのために、
一度東京に戻る予定でしたが、
それも医師の許可が下りずキャンセルとなり、
父のお見舞い以外は
自宅で安静にする日々が始まりました。
無理はするものでは無いですね。
父と
お腹の子と
母と
みんなでバランスを取って
頑張らないとね。
こういう時ほど、
冷静にならないといけないですね。
妊娠してからというもの
自分の体力を過信して
仕事を優先し、
体のことをあまり考えていませんでした。
今回の切迫早産を乗り切るためには
安静に過ごすことが
第一の薬だそうです。
ここで少し立ち止まって、
冷静になりなさいと
言われているような気がしました。
立ち止まって、
子供のこと
父のこと
ちゃんと向き合って
ベストを尽くすべきだと
思いました。
次回は、抗がん治療の再会についてお話ししたいと思います。
2018年7月1日 抗がん剤の中止
この頃はまだ梅雨も明けておらず、
ずっとぐずついた天気が続いていました。
この日も朝から雨が降っていました。
朝、病院から電話があり、
主治医の先生がお話をしたいとのことでした。
ちょうど初めての抗がん剤を投与してから
4日目のことでした。
父は、2日ほど前ぐらいから食欲がなく、
ご飯をほとんど口にしていませんでした。
食べられるのは、かき氷やスイカなど、
水分の多いあっさりしたものでした。
痛み止めを飲んでいるせいか、
痛みはない様でした。
主治医の先生は午前中は診察、
午後は手術というパターンが多く
いつもとても忙しい様子です。
ナースセンターの一角にある、
説明室に通され、
私は初めて先生と対面しました。
母はこの時からすでに、
先生の説明を聞くことが怖く
病気についての話し合いは全て
娘の私に任せていました。
私は一通り病状の説明を受けたあと、
ここ数日間の血液検査の結果を
見せていただきました。
私にはどの数値が
どの様な意味を持つのか
全くわかりませんでしたが、
ある数値が日に日に増えていることは
見てとれました。
GPTとGOTの数値です。
詳細な数値は記憶していませんが、
3日ほどで、30→90→180という様な感じで
爆発的に上昇していたと思います。
抗がん剤を開始した直後からの
この上昇率であったため、
主治医の判断は
「これ以上抗がん治療はできない」
というものでした。
つい先日、抗がん剤に望みを託して、
治療を始めたばかりなのに。
こんなに早い段階で、
手詰まりになってしまうのかと、
父と母にどう説明すれば良いのかと、
涙が止まりませんでした。
食堂でひとしきり泣いた後、
戻って来るのが遅いと心配した母が
食堂に迎えに来ていました。
父と少し話をして、
病院を後にした車の中で、
抗がん治療ができなくなったことを
母に話しました。
母は、食堂で会った時の
私の様子から、
あまり良くないことがあったんだと
思ったそうです。
病気がわかった6月14日から2週間。
父は為す術なく、緩和ケアを
余儀なくされました。
末期のすい臓がんが発覚して、
ショックの最中にある
ほんの些細な希望すらも
奪われて、
何にすがれば良いのか
心が本当に痛くて
あの雨と
母と話した車の中の記憶は
頭にこびりついて
未だに忘れられません。
次回は少し父のことから離れて、私のことについてお話したいと思います。
抗がん剤の是非について
今回は抗がん剤の是非についてお話ししたいと思います。
父がすい臓がん末期と分かり、
医療に全くの素人の私が思いつく治療法は、
抗がん剤でした。
予想通り、父も治療方針として抗がん剤の投与を打診されました。
と言うのも、父の場合、肝臓への転移があったため、
放射線治療や免疫療法の選択肢がなく、
積極的な治療は抗がん剤治療、
消極的な治療は緩和ケアのみでした。
ステージが進んでいたり、転移があったりすると
治療方法も選択肢がなくなるんですね。
そのため、最後に残された手段である抗がん剤治療を受けると言う判断を
当然の様に私たちは決めました。
それでも先生からは、抗がん剤を使うことによって
現在の余命1ヶ月が3ヶ月ぐらいにしかならない、
と言われました。
そして、その抗がん剤も効果があるのは20%、5人に1人とのことでした。
積極的に治療しても、
余命が延びる確率は20%なのかと、
あまりの希望のなさに呆然となりました。
しかし、20%あるならそこに賭けるしかありませんでした。
この時は、父と過ごす時間を少しでも長く、
と言う思いだけでした。
けれども、抗がん治療の現状をもう少し知っていれば、
抗がん治療を受けると言う判断も変わっていたかもしれません。
結果として父は抗がん剤治療を受け、
20%の確率である治療の効果があり、
余命を延ばす事ができました。
しかし、延びた余命の期間は父にとっても私たちにとっても、
決して幸せな時間ではなく、
むしろ過酷な日々でした。
父は次から次へと襲ってくる副作用に心身共に疲弊してゆき、
亡くなるまでの1ヶ月間は
我々の知っている父ではありませんでした。
私たちは余命が延びると言う甘い言葉に誘われて、
短絡的に抗がん剤治療を選択しました。
それは何の根拠もなしに、父が今の状態で、
余命が延びると思っていたからです。
ですが、現実は今の父の状態がピークで、
あとは抗がん剤の副作用と治療にもがき苦しむだけで、
辛い期間を延ばしただけのような気がします。
父の苦しむ姿を見ては、あの時抗がん治療を受けなければ
と言う思いが何度も頭を過ぎりました。
父は亡くなる数週間前に、
あまりの闘病の辛さに主治医の先生に死なせてくださいと、
泣いて頼んだそうです。
抗がん治療で余命は確かに延びるかもしれません。
しかし、その余命はまさに生き地獄です。
私は抗がん剤治療を受けるべきだったか、
未だに疑問と後悔を拭えません。
父は4ヶ月間ただただ苦しんで、死んでいきました。
それでも余命が延びるならばと、
抗がん治療を選択する人がほとんどだと思います。
どうか、末期がんで抗がん治療を受ける場合は、
相当の覚悟を持ってください。
治療を受ける患者はもとより、
その患者を支える方々の精神的負担は相当なものになります。
心を強く持って、できるだけ多くの人で
患者さんを支えるようにしてください。
そして看病する方は一人で抱え込まずに、
同じ様な病気を持つ人と交流をする、
こういったブログ等で相談するなど、
逃げ場を作ってください。
私の母は看病のあまりの辛さに
不眠症、動悸に悩まされ、
うつ病の一歩手前でした。
父は抗がん剤で気が狂った様になり、
母はうつ病の様になり、
この時ほど家族が壊れてしまう恐怖を感じたことはありませんでした。
次回は7月上旬ごろのお話をしたいと思います。
2018年6月28日 抗がん剤治療開始 サイクル①(1回目)
入院から10日程経過して、抗がん剤治療が始まりました。
父は痛みが増している様で、日に日にきつくなる様でした。
抗がん剤は1週間に1回2時間程度投与するもので、
それを3週間行い、1週間休むというサイクルで1セットという方法でした。
(詳細については下記参照)
<投与した薬>
・ジェムザール(GEM)
・アブラキサン
<抗がん剤投与サイクル>
1回目 2時間薬投与
2回目 2時間薬投与
3回目 2時間薬投与
4回目 お休み
<副作用>
・毛髪が抜ける
・味覚障害
・便秘
・倦怠感
・粘膜炎症
ちょうど、入院から3日程経った時に、
私も東京から実家に戻ることになりました。
私事なのですが、この時私は妊娠8ヶ月ぐらいで、
1ヶ月後の7月に里帰り出産のため、帰郷する予定でした。
父の病気が発覚した後すぐに会社に相談し、
有給休暇を全て使い1ヶ月前倒しで産休に入らせてもらい、
帰郷するに至りました。
父の病気を知り、
インターネットで病気のことを調べれば調べるほど、
すい臓がんという病気が
瞬く間に体を蝕んでいく病気であることがわかりました。
そして、私はこの時の選択を
今になっても良い選択だったと思います。
私が戻らなければ、
看病をする母は一人でこの病気に立ち向かわなければなりません。
昨今は、子供が遠方にいる家庭も多くなり、
今回の私たちの様に両親二人だけで地方で暮らしているケースも
多いと思います。
そして、子供たちにも家庭や仕事がある場合は、
すぐに両親の元に駆けつけることも、
共に看病することも困難です。
ですが、生涯の伴侶を亡くすかもしれない恐怖を
一人で耐えることは非常に辛く、
その中で看病をしなければならない状況は
とても耐えられるものではありません。
患者に対してもですが、
患者の一番身近な人に対するケアも忘れない様にしてください。
そばにいる事が難しくても、
毎日電話をしたり、
メールをする事で、
不安やストレスを吐き出させることは非常に大切です。
どうか、遠くにいても患者と、看病している人の心に寄り添ってあげてください。
次回は抗がん剤の是非についてお話ししたいと思います。
2018年6月17日 入院 & 血栓との戦い
がんが発覚した翌日から父は入院することになりました。
すぐに治療が始まるのかと思いきや、
父の場合はすい臓と肝臓の間にある門脈に血栓がたくさんできており、
それが肝臓への血流を妨げているとのことで、
抗がん剤を行っても効果が出にくいとのことでした。
そのため、血流を良くするためにまずは薬で血栓を溶かす
という治療が行われました。
私はまだこの時東京にいたため、
詳しい状況はわかりませんでしたが、
父は来るべき時が来たかという感じで至って普通だったそうです。
しかし、母は今後のことを考えるとどうすれば良いのかわからず、
憔悴し切っている様でした。
血栓を溶かす薬は1週間ほど投与されましたが、
効果は見られずでした。
痛みは徐々に強くなっている様で、
なぜ早く抗がん剤を行ってくれないのかという
家族の不満も少しずつ見え始めて来ました。
余命が短くて1ヶ月と言われているため、
1週間がどれほど長く感じたことか。
ですが、主治医の先生には先生の治療方針があります。
我々は医療に関しては全くの素人のため、
逐一疑問に思ったことを全て先生に聞いていたら、
きりがありません。
主治医の先生は、我々が質問すれば丁寧に答えてくれましたが、
一々先生のお時間を取るのは憚られる思いがして、
中々細かい疑問を解決することはできませんでした。
3日に1回、30分だけでも定期的に治療方針を相談できる場を
セッティングすることができれば良かったなと、
今になって思います。
また、病気がわかってからはそれどころではないと思うのですが、
毎日の症状や使用した薬、行った治療は何かにメモしておくと、
とても有用でした。
先生も私の父一人だけを診ているわけではないため、
細かい点を全て記憶して、
その部分に配慮した治療ができない場合もあります。
なので、治療方針における提案は家族からも積極的に行った方が良いと思います。
少しでもがん患者が楽になれる様、
お医者さんと家族の両方がサポートすることが大切ですね。
2018年6月14日 すい臓がん発覚
この頃、私はまだ実家から遠く離れた東京で働いていました。
実家は東京から飛行機で2時間弱かかる地方で、
父と母はそこで二人暮らしをしていました。
病気が判明したちょうど1週間ほど前に、
両親が上京し家族で食事をしたばかりのことでした。
今思えば、あの時殆ど食事も食べておらず、
大好きなお酒もいつもほど飲んでいませんでした。
後になって母から聞いた話では、
年初め辺りから背中や腹回りに痛みがあり、
お酒を飲んだ後は特に痛みがあったため、
上京前は2週間ほど禁酒していたそう。
上京のついでに、鎌倉や伊豆を2泊ほど回っていましたが、
痛みのためあまり楽しめなかったそうです。
2018年3月の健康診断でも特に問題はなし。
2018年5月初め頃にかかりつけのお医者さんに行ったのですが、
血液検査の結果も問題はありませんでした。
年齢もちょうど65歳になったところだったので、
次の5年の目標を決めているところだったそうです。
東京から帰って、余りにも痛みがひどいので、
かかりつけ医の紹介で、地元の総合病院で精密検査を受け、
そこでCTを撮ったところ、
すい臓に3〜5センチ程のもやもやしたがんがあり、
肝臓にも星空の様にがんが散らばっており、
ステージ4b(すい臓がん末期)の診断が下りました。
余命は短くて1ヶ月。
長くて3ヶ月とのことでした。
父は昔ながらの親父という感じで、
酒もタバコも大好きでした。
食事も好き嫌いはないものの、
脂っこくて味の濃いものが大好き。
健康に気をつけるぐらいなら、
早死にした方がましだという、
太くて短い人生を望む様なタイプの人間でした。
がんにもなるべくしてなったと言えばそうなのでしょう。
それでも、定期的に健康診断を受けていれば
がんも早期発見できるものと思っていましたが、
CTのある健康診断でなければ今回のがんは見つからなかったのです。
すい臓や肝臓は沈黙の臓器と言われるほど、
病巣が広がっていても自覚症状の少ない器官だそうです。
私の父も年明けぐらいから、違和感は感じていたものの、
病院に行っても簡易な検査(血液検査やレントゲン)と
問診で胃薬をもらうぐらいで、
がんの発見には至りませんでした。
すい臓は体の中でもとても奥まったところに存在する臓器のため、
レントゲンではがんが分かりません。
自覚症状もほとんどありません。
そのため、見つかった時にはすでに手遅れという場合がほとんどです。
5年生存率が2%ほどと、
全てのがんの中でもとても低い割合になっています。
もし、近親者をがんで亡くしていたり、
すい臓や肝臓に負担をかける様な生活習慣を送っている場合は、
必ず定期的にCTやMRIを撮ることをお勧めします。
簡易的な健康診断ではCTやMRIは撮りません。
すい臓がんはCTやMRIを撮らなければ分かりづらいがんです。
できれば人間ドッグを受診することが望ましいですね。
父も、もう少し早くがんを見つけられていれば、
もっと違った結果もあったのかなと。
どうしてもそういう思いを拭いきれません。
やっかいな病気ほど、発見するのが難しいものです。
発見してからでは遅いのです。
予防できる検査や医療がもっと発達してくれるといいですね。
