「犬王」
能楽師・犬王(いぬおう、CV:アヴちゃん)×琵琶法師・友魚(ともな、CV:森山未來)の芸能バディ。
時代は室町、平家の物語。
舞い踊り歌う狂騒のミュージカル・アニメーション!
平家物語好きで、バディもの大好きで、推しは脚本家・野木亜紀子さんの私が、公開を待っていた作品です。公式が能楽師を「ポップスター」に準えるところからして、これ絶対普通の歴史ものアニメじゃないだろうなとも思っていました。思っていましたけど、ちょっと予想を超えていましたね。
平家とか脚本とか、考えるまでもなく私がここまではまる要素は笑えるくらい満載なのだけれど、もしかしたら大元の要因はどれでもなくて、私にもロックとライブに入れ込んでいた頃があったからかもしれません。
私が好きになった時期って、はっきり言って歌詞の意味はあんまり分からん曲ばっかりなんだけど(ごめん)ライブじゃ一緒に歌って、ノッて、ジャンプして、もうええやろってくらいコーレスやって、メンバーの名前とか最高!とか叫んで、筋肉痛とパワーもらって現実に帰った。
真冬でも汗だくになるし野外フェスではよく雨に降られた。
ライブハウスで酸欠になったことも押されて警備のお兄さんに吹っ飛ばされたこともあった。
元旦の朝の3時にラーメンを食べた。
オールの後みんなで屍になって駅まで歩いた。朝日が目に痛かった。
若くてバカで楽しかった。
今時ロックを聴くのは中高年以上らしいですけど、実際中高年ですしね。流行りなんてそんなもんでしょと思うだけです。
犬王に思い出を掘り返された。私にはきっとそれが大きい。
発声上映が叶わないご時世なので、2回目以降の鑑賞では無発声で歌ってノッてます。
主演のお二人についてですが、森山くんは私ごときが知る範囲でもすごい才能を持つ人なので、声の演技も歌も心配していませんでした。ただアヴちゃんを知らず…「女王蜂」は名前聞いたことあるようなないようなっていう。ごめんなさい。(公開後にご本人のTwitterを見に行ってみて初めて、もしかしてすごくメジャーなアーティストでは?と…)予告で声や歌を耳にするようになって、ああこの人も全然心配いらないなと確信しました。
心配ってさ…今思うとほんと何なのか分かりませんね。
アヴちゃんの声の演技も歌も、ちょっと意味分からないくらいすごかったので。声優の保志総一朗さんに声が似ているという感想があって、言われればそんな気もしますが、アヴちゃんは声の演技も歌も絶品なのはもちろん、男童・少年・男性の役を演じ分け、男性の声と女性の声を歌い分けているのです。いろいろな役を演じ分ける能と同じように。声帯3つあるんか。
映画の前に原作を読みました。予習しないことの方が多いのですがこれはしておくべきだなと思ったので。
原作は「平家物語 犬王の巻」という小説です。
コロナワクチン接種当日、待機から副反応が出てきて寝込むまでの数時間で読みました。
近年まともに読書をしていなかった私でも読みやすいボリュームですが、説明とリズム重視(表現の繰り返しも多い)でして、人物の心理はあまり描かれていないのでちょっとイメージを描きづらいかもしれません。
とはいえ映画ではしょられた部分もありますし、原作読んでから映画、映画観てから原作、どちらからでもいいのでどちらもおすすめです。ストーリーに大きな違いはありません。
当然犬王は前売りを購入して待っていましたが、公開記念の舞台挨拶付き上映が京都でも開催されると知りまして。
先行は外れましたが運良く一般で購入でき、無事京都へ。
せっかくなら京の都で観てみたいじゃないですか。
京都駅すぐそば、絶対に分かる立地、T・ジョイ京都。
ここはあれだね、仮面ライ●ージオウの舞台挨拶以来ですね!
ジオウって時の王者なんですよ。王つながり。
初見が舞台挨拶付きだと心の整理がつかないので出来れば避けたかったのですが、都合がつかず初見でした。
T・ジョイは限定ドリンク「平家の魂」を販売しているので記念に買ってみました。グレープフルーツ果肉と炭酸水なんだけど、魂の味は薄かった。私に彼らの声は聞こえそうにない。
この日限定のシリコンバンドと撮影タイム。
京都の舞台挨拶は上映後。アヴちゃん、森山未來くん、湯浅政明監督のお三方でした。アヴちゃんミリしら勢なのにいきなり拝んでしまって申し訳ございません…。
アヴちゃんはおそらく犬王と友魚のイメージで赤と青の衣装なのでしょうが、かっこよかった!
初見の感想ですが、どえらいもんを目にした時のオタクのお約束で「助けて」でした。すごい。なんか今すごいものを見た。なんだこれ。全然言語化できない。呆然としてしまいせっかくの舞台挨拶も半分聴けたかどうか。帰りの新幹線の時間までかなり余裕があり、デパ地下を回るも魂抜かれてちっとも商品が目に入らない。ゾンビみたいな動きで3周くらいしてしまいました。混んでたら危なかった。周囲が。
野木亜紀子のバディに殺されるのは2回目。
原作のラストも相当やばかったのですが、映画は室町と現代の600年を繋いできた。冒頭で現代から室町へ遡り(600年間の京の描写もスピーディーかつ、分かりやすいし、紅白歌合戦や玉入れといった、短い尺に現代の赤と白を入れてくるのが素晴らしい)、ラストで室町から現代へ戻ってくることで、これはただの昔話ではないぞと思い知らせてくる。
そして、原作では明言されなかった「再会」を600年後としたことで、映画の二人は、
★犬王→天寿を全うした後、生前の自我も姿も保ったまま600年友有を探していた
★友有→名前を捨て無念だけが強く残った結果、亡霊と化して600年彷徨っていた
…ということに。重い。
友魚の両親を見る限り、「人は死んだらすぐ成仏するか、心残りがあって留まっても時間とともに薄れて成仏する」が基本だと思うので、友有は相当なもの。彼の無念には足利への憎しみだけじゃなくて、「犬王が最後まで自分とともに有ってくれなかった」という思い(誤解)が含まれていますよね。
それでも犬王の方が重いと思うのよ。
死んで600年自我と姿を保てる人はそういないですよ。知らんけど。友有だって何なのか分からないのに弾き語りしていたんだろうし、見た目も生者ではなくなっていたし。
犬王は生前、数十年心を殺して生き続け、死後の長い時間も心折れることなく友有を探すことに費やした。1000年、2000年かかったとしても同じだっただろう。大好きすぎるでしょ。
この映画のキモである「歌」「ライブ」。
なんであの原作から、よし!フェス映画にしよう!いける!と思ったのか、凡人には全然分からなかったです。そりゃあ野木さんも「能の勉強する必要なかったじゃん?!」ってなるよ。
犬王の物語を歌うようになった友一は琵琶をエレキギターのように弾く。あの背中で弾くやつ…背面弾きというらしいですがそれもやるし、どんどん脱ぐ。際どくてもう全裸の方がましのような気がしてくる。脱ぐこと自体は分かる、見てきたライブでもみんな脱ぎがちだったので。暑く?熱く?なってくると服は邪魔だろうし、単純にテンションぶち上がると脱ぎたくなるんじゃないのかな。バンドマンの知り合いはいないので推測です。
犬王も本来の身体を取り戻していくとやっぱり脱ぐのよね…。肯定マンの朋がいるから「俺は美しい」「見てほしい」という自信が生まれたのかもしれない。でも公家との宴席で脱ぐ必要あった?
犬王も友一も歌の合間に「アウッ!」とか声出すのが好きです。今と変わらんよね。二人とも歌が上手いしずっと聴いていられる。つくづく室町のモブが羨ましい。
『犬王 壱』友一が初めて犬王のことを歌いますが、てっきり犬と一緒にクソみたいなメシを食ってるって歌詞だと思っていたら、
「♪這いつくばって犬とメシ 食らうそのツラはクソのよう」
だったという。超口悪いし顔がクソみたいってあんまりだ。あんた特典冊子で犬王のこと、「出会った時からお前は美しい」つってたじゃん。美しいクソとは?こんな歌詞なのに犬王のリテイクは入らなかったのだろうか?優しすぎか?
『腕塚』一番好きな曲。薩摩守忠度の歌だし、友一とタッグを組み始めた頃だからか、まだ少年っぽさが残っているので。平家物語で忠度が百騎の兵に見捨てられ、右腕を落とされるくだりは有名だと思いますが、あんなふうに犬王が演じるまで知られていなかったのなら強烈でしょうね。
『鯨』ライブ向けのみんなで盛り上がる曲。イルカと鯨のプロジェクションマッピング!龍も出る!全部お手製だからとんでもなく手間でしょう。プロジェクションマッピングに限らず、ライブパートは時代考証ぎりぎり、湯浅監督は「現代でできることはだいたい当時もできる」という考えらしいです。
(舞台挨拶では、「人力でなんとかしているシーンさえ出せばOKと思っている」とか仰っていたけど…)鯨は、アヴちゃんの伸びやかな歌声が最高。
『竜中将』犬王と友有の歌。犬王の巻を語ってきた友有が初めてその物語の中に入って、二人で紡ぐ歌。アヴちゃんと森山くんのハーモニーが本当に美しく、声の聞き分けが難しいほどシンクロしていて、最高潮!なのだけど…頂点の先が見えているせいでどうしても悲しくなってしまう。この曲の終盤で犬王の呪いは全て解け、ついに直面を晒す。そのとき隣で友有が泣きながら琵琶を弾いている。涙ぐんでいるレベルではなく号泣です。あんなに泣いたらお化粧ぐちゃぐちゃじゃない?初見では気付けませんでした。みんなすごい。
サントラも買いましたが一部収録されておらず(冒頭とラストの友魚の弾き語りとか、墓前から処刑までとか)映画館でしか聴けないんですよね。上映館は少なめなのに公開後一週間で上映回数減らされていているし。私も最寄りではやっていないので隣県で鑑賞しており、そんなに通えないのです。歯がゆい。
犬王と友魚の関係性。
出会ったことが運命、運命の先がどうであろうとも、出会いこそすべて。
犬王は将軍に仕えた時点で、「直面もまた仮面にすぎない」と言った通りの人生を選んだ。大切なものを守るためなら新しい平家を捨てることも、友有と金輪際会わないことも、すべて受け入れて生きていけた。
でも友有は犬王抜きの人生はありえなかったから死ぬことになった。尊氏の墓前での弾き語りは、原作では犬王の巻だったけれど、映画では聞き取れる限り足利への恨み言。足利に奪われた2つの光とは「視力」と「犬王」ですよね。
友有は賀茂の河原で『腕塚』のように腕を斬られ、次いで首を刎ねられる。
斬首の際の「所詮、壇ノ浦の友魚」は、ともに有った朋をなくしたから友有ではない、ただの友魚である。の意味でしょう。
600年を経て、二人は初めて出会った頃の姿で再会する。
このティザー、映画を観た後だと好きだけど悲しい。
書いてある台詞は『竜中将』の友有なのに。
室町時代にブレイクダンスとかバレエとかなんでもありの映画なので、万人受けしないだろうし、ダメな人はダメなのは分かる。いくら制作サイドが「技術的には可能」「当時あったかもしれない」と言おうが、受け手にそんなの関係ないし。
私は犬王に泥沼なので、正直どうなのかと思わなくもない『竜中将』のレーザー光線とかも全部「もうなんだっていいじゃん、ジョージ・ルーカスの宇宙だって『その方がかっこいいから』って理由で音があるだろ!」で済ませています。
犬王の直面だけは何度見ても慣れません。好みの問題です。
藤若の成長バージョンみたいなのを想像しませんでしたか?あれデヴィッド・ボウイらしいんですがどうしてもデーモン閣下に見える。
美しいの範疇…なんだよねえ。
長いこと書きましたが、犬王は本当に良かったです。
素晴らしい作品をありがとうございます。
もっとたくさんの人が室町フェスに参戦しますように。
長く愛されますように。
いつか(できれば)アヴちゃんと森山くんで、犬王の舞台でもライブでもいいから開催されますように!
って犬王の場合は舞台とライブおんなじ意味か?
とにかく生で浴びたいです。
それから配信と円盤は早めにお願いします。