私の実家の近くに、
家の塀の上にまで高く積み上がるほど、段ボールをひたすら集めているおばあちゃんがいるんだ。


話したこともないし、
何が目的なのかもよく分からないんだけども。。

まぁ、
別に怪しいことはしてなさそうだし、
多分、段ボールたちの整理か入れ替えか、何かをしているんだと思う。


でもね、
夜、その家を通り過ぎる時、
たまたまそのおばあちゃんが、
段ボールに登っていたりする瞬間に鉢合わすと、正直、かなりビビる笑

言い方悪いけど、
身近にエセホラーがあると、
結構ツラい。。笑

なんなんだろうね。

私は勝手に”段ボールおばあちゃん”て、
心の中で呼んでいるけど。



そんなことを友達に話すと、
意外とみんなそれぞれの近所に、
そういう変わった生活をしている人とか、人とは違う家に住んでいる人とかがいる。て話を聞く。


少し話は変わるけど、
今、アメリカの大学の教授が、
その大学のゴミ箱に住んでいるんだって。

そのせいで、
生徒からは”ゴミ教授”て呼ばれちゃってるんだとか。

私が生徒でも、
きっと同じあだ名を付けるんだろうな笑


その教授がゴミ箱に住むことにした理由は、
プロジェクトの一貫で、
沢山の物を持たなくても幸福に暮らせる。ということを、
学生やアメリカ中の若者に伝えたいから。らしいの。

一応、ゴミ箱とは言っても、
中はキレイにされていて、
ソーラーパネルが付いているから電気も使えるし、
本当にほとんど不便はないんだって。


確かに、
すごく素敵な目的だし、
それを伝える為のプロジェクトなのは分かるけど、
いくらなんでもちょっとやり過ぎにも思えた。笑

でも、
やり過ぎなくらいやっているのにも関わらず、
“ゴミ教授”とか呼ばれちゃったりして、
メッセージはそこまで浸透されていない様にも感じる。

ここまでしてるのに、
"ゴミ教授"は、ちょっと可哀想だよね。


だから、
この話を知って、
何かを伝えるとか、
理解してもらうとか、
それら他人の心を動かすことは、
本当に難しいことなんだな。て、
改めて考えさせらせたよ。

ただ、
見方を変えれば、
アメリカの中のたった一つの大学の、
たった一人の人間がしている行動が、
日本にいて全くアメリカとの繋がりもない、私の耳に届いている。という事実があって。

それだけでも、
相当すごいことなんじゃないかな。て思うの。


そして、これは
「他人の偉業、すごいねー」で、
終わらせるものでもない気がするんだ。

きっと、
誰の行動や心境にも言えることで、
自分とか他人とか、
それを取り巻く人間関係とか、
何かを変えたいのなら、
やり過ぎ。てくらいやらないと、ダメなんだよね。

勿論、
やり過ぎなくらいやっても、
上手くいかなかったり、
何も伝わらなかったりすることだってあるけど。

それでも、
中途半端にやるよりは、
断然、可能性が広がるもんね。

その方がダメだったときの後悔も少ないし、要はいつもより少し勇気が必要。てだけで。



うまくいかない時は、
まずはやり過ぎまで行ってしまえ。
修正はそれからすればいい。


うん。


昔、先輩に言われたのを思い出したよ。




明日もどうにか生き延びよう。