接客業。

社会人も学生も、女性なら大体の人が経験したことがある職だと思う。


人と接するこの職業は、
人によってはとてつもなく楽しいものなのかもしれない。
だけど過半数の人はこの接客によってストレスを抱えたことがあると思う。


じゃあなんでストレスを抱えるのか。

それは仕事が大変だとか重労働で疲労するからなどといった理由じゃない。

この職業にとって、
切っては切り離せない、
“クレーマー”という存在がいるから。

私は何かあるとすぐクレームをつけてくる人種が嫌い。
もちろん、提供側のミスでクレームをつけられてしまうのはしょうがない。

その場合は誠意を持って謝罪をし、きちんと受け応えるのは当たり前。


でも時に、
誠意のある対応をしても、
怒りに任せてささいなミスも大げさに取り上げて文句をつけて、過剰なまでにお詫びを要求してくる客がいる。


ましてや、提供側に何も非も無いにも関わらず、
機嫌が悪いが為・お詫びが欲しいが為に、たとえ工作してでもいちゃもんを突き付けてくる客までいる。



キャバクラも接客業だし、
ウザい客は五万といる。
もう慣れてしまったのか、感情が薄れてしまったのか、
今では前ほどの怒りを覚えなくなったし、ストレスはかかるけど耐え切れない程ではない。

むしろ、普通の飲食業の方が大変なんじゃないかとも思うの。




私も昔、カフェでバイトしていたことがあってよくわかる。

何かあった場合、
キャバクラでクレームを突き付けられるのは大体自分だけ。
でもカフェでは店長まで呼び出されて、頭を下げさせられてしまっていた。

私はそれを見るたびに、罪悪感とやるせない気持ちが煮えたぎった。



こんなことがあったの。

隣で接客をしていた子がお釣りを間違った金額で渡してしまって、客が激怒。
ささいなミスだけどその子は誠心誠意、謝罪したのにも関わらず、
その客は最終的に、「店長を呼んで来い。」と怒鳴りつけたの。

でもその日、
店長はいなくてそのことを告げたら、「店まで来させろ。」と言い、そのことを店長に電話で伝えたら、「わかった。」と言い、店長は1時間後、店まで駆けつけてきてくれたの。

そして”全部、自分の責任”と言い、謝罪とお詫びに商品を無料で提供した。


それでもまだぐちぐちと言いながらもしっかり商品を受け取る客...





あと、こんなこともあった。

私が注文を受けて、私が商品を提供した客が席に着いてしばらくして、クレームを突き付けてきた。

ケーキに髪の毛が乗っている、と。



見てみたら、確かに食べかけのケーキの上に乗っていた。
でも私の髪はこんな真っ黒ではないし、こんな太くもない。
どう考えてもそいつの髪だった。


でも”お客様は神様”と教わっているから謝罪をする。

それでも不服そうな客の顔に気付いた店長は改めて謝罪して、もう一個ケーキを渡す。



最後に私のネームタグを舐め回す様な目で見た後、勝ち誇った顔に変わり席に戻る客...



有り得ない。

なんでそこまでさせられなくてはならないのか。
間違っていないのになんで、謝り続けなくてはならないのか。


あの光景はホントに辛い。


金を払っていれば何をしても正義になるのか。
反論できない立場を分かっていて、利用しているだけじゃないのか。
それが”神様”の特権か。
私たちはお前に買われた奴隷じゃない。
人をなんだと思ってる。



今も思い出すと腹が立つ。
そしてこうしている間にも同じことが別のどこかで必ず起きてしまっている現状があって、
無力な私では直接的には何もできない。



でもね、
面白い話を聞いたの。


ある会社がクレームを通り越していちゃもんをつけられたそう。
商品やサービスだけでなくスタッフに対しても文句をやめなかった横暴ぶり。


そこにその会社の支配人が来て、
「出ていけ。お前は客じゃない。」と激怒した上、
「スタッフはお前の奴隷じゃない。謝れ。」と迫って、クレーマーに謝罪させたらしい。

そのことが書かれたブログが反響を呼んでいるんだって。



専門家の方々からもこの対応は評価されて、”モンスタークレイマー”に対する対応の正解例だと言われているらしいの。


私は今まで接客に関して、
”お客様は神様”と教えられてきて、何があっても謝り続けることしかできなかった。


でもこの事実を知った今、もっと正しいはずの対応ができる気がする。


私自身は無力でも、
私と同じようにこのことを知った人・私のブログを読んでくれて知った人・そこからまた別の人たちに伝えることができた人が増えれば、
この理不尽で、誰でも人間不信にもなりかねない卑怯な現状が変わるかもしれない。



そんな夢みたいなことを考えてみたらワクワクしたけれど、そんなの無理かな。



まぁ、少しずつでもいいよ。
少なくても私が好きな人には知っていてもらえれば。
きっとその人が理不尽に苦しむことも減るはず。




私は、革命を起こしたい。
心のね。








明日もどうにか生き延びよう。