この前、
ナイジェリアで沈没してしまった船の中から男性が救出されたんだって。


60時間もの間、海底の船の中にいたらしい。

運良く、空気が残った空間がわずかにあり、なんとか呼吸ができたそうで、
今その男性は無事、家族の元に帰れたみたい。



恐いね。





このNEWSに対してコメントしてた人達は、「すごいですね!」って話してた。


その奇跡を喜んでいるというよりは、こんな事あるんだな!ってあたかも他人事。みたいなコメントと表情にとれた。

なんだかそれが、私はとても悲しかった。


助かったからよかったものの、当事者ではない彼らからすれば、その出来事はNEWS記事の一つでしかないのか。って。



きっと彼らはさ、
今回の事件で、もしも彼も亡くなってしまっていたら、
きっと"悲しそうな顔"をするんだろ。


もしかしたら、せめてものその表情もせずに、"NEWSの一つ"として読み上げて終わるかもしれない。



結局は他人なんだな。



NEWS番組がこんなんだから地震災害とかの復興が他人事に捉えてしまう人が増えるんだって。


だったらその場の状況だけ伝えてコメントなんかしなくていいんじゃない?って思うよ。







話が逸れたね。失礼。




今回の事件、もし自分がこの立場だったらどうだったかを思うと私は本当に恐ろしい。



2日以上も海底に1人でいて、
炭酸水はあったらしいけど食糧は無い。
助けが来るかどうかも分からない。
今、どの辺りで沈んでいるのか・海底の深さも分からない。


そんな状態でよく待っていられたと思う。


一か八か、思い切って船から飛び出して海面まで泳ぐことも考えたはず。


私なら2日も経てば、
そうするか、気が狂ってるかのどっちかだと思う。


助かるかどうかわからないのも恐いけど、海面にいるってことが恐い。



深海魚とか海の生物は大好きなのに、自分がその場所に放り出されると恐い。



そう考えると探検家は凄いよね。


恐怖心より好奇心が勝っているから危険な所へでも探検することができるのかもしれない。


こんなメンタルがあれば何があっても、きっと素敵な生涯を送ることができるのだろう。




好奇心が向上心を生み、
その向上心が人を成長させ、立派な人格を育む。


探検家まではいかなくても、
いつか私も恐怖心に勝る好奇心を持てる様になりたい。


なりたいのだけれど、
よく考えてみれば、私には恐いと思うものばかりだ。


好奇心はあれど、一歩踏み出すまで躊躇してばかり。


人並みに辛い経験もしてきたし、
トラウマも沢山ある。


何かあると、
記憶がストップを掛ける。

知らないものにもストップが掛かる。

私はブレーキが多過ぎる。

わかってはいても、やっぱりこれが外せない。




全部、恐い。







たまにね、
申し訳なくなるの。

こんな人間の書く詩に共感してくれる人がいたり、恐れ多くも尊敬してくれる人もいる。


なぜ。。




私には何ができるのか。



考えれば考える程、生きれば生きる程、何もできない事実を認識させられる。


こんな無力で、
隣の芝を青く見てばかりのくせして、
そこに行くのには躊躇してばかりで、
こんな私に、果たして愛される資格なんてあるのか。




私は寂しがり屋で、
いつだって求めてばかりだった。

過去の人達には愛を与えてあげることができていたのか。






いつもいつも欲してばかり。

何にもできないくせに。


だから申し訳ない。
私はこんな人間なの。







今日はやたら"ばかり"という言葉を使ってしまった。

でも、
よく私を表した言葉だと思う。


私の醜い部分を一言で言うのなら、
"ばかり"という言葉はうってつけ。





遠ざけてばかり。
嘆いてばかり。
欲してばかり。


無力なくせして、"ばかり"だなんて。


情けない。




最近見た映画で流れた尾崎豊のシェリーがやたら頭に過る。





素敵な曲だった。











明日も私は"ばかり"のままなのかな。





そんなの嫌だ。









明日もどうにか生き延びよう。