「森蘭丸、参上つかまつった。堀秀政様に、お目通り願いたい」
兵は驚いた表情で蘭丸を見つめ、それから慌ただしく城内へ駆けていった。
やがて私たちは案内され、座敷で待つこととなった。案内役の兵はちらりちらりと私を見ていたが、身元までは悟れていないらしい。襖が静かに開き、姿を見せたのは、清廉な気配をまとった若武者――堀秀政その人であった。
「蘭丸……まさか、本当に生きていたとは。して、そちらのお方は……?」
秀政の視線が私に移った瞬間、その瞳が大きく揺れた。
「……御台……様?」
息を呑む音が、座敷の空気を震わせる。私は静かに微笑んだ。そう呼ばれるのはいつ振りであろうか。老臣や、私が嫁いだ時からの家臣の多くは私を「濃姫」と呼んでおる。しかし、若い者はさすがにそう呼ぶには気が引けるのであろう。実際、私ももう「姫様」などと呼ばれる齢でもない。秀政は確か三十歳くらいであったと思うが、見た目はまだ二十代半ばくらいの若武者にも見える。このような者にそう呼ばれるのは顔に出さずとも、些か抵抗もある。まあ、そのような些末なこと、どうでも良いことではあるが。そう言えば、まつ殿は私よりずっと若きお方ではあるが、あの者が私を「濃姫」と呼ぶのはきっと利家の影響であろう。
「久しいの、秀政。私が死んだとの噂があるようだが……この通り、まだ現世にしがみついておる」
秀政は膝をつき、深々と頭を垂れた。
「まさか……本当に。信長公が討たれた後、御台がご存命とは露ほども思わず……御台様のご気性であれば……」
そこで秀政は言葉を切る。その先の言葉予想がつく。
「信長と共に太刀を揮って、あの場で討死すると思ったのであろうな」
「あ、いえ……」
「私も出来る事なら殿と共に散りたかったよ……」
「御台様……」
「なれど、ここにこうして生きているのも殿の御心である」
「嬉しい限りにございます。生きていてくださった……これほどの吉報がありましょうか……」
震える声に、彼の誠実さがそのまま表れている。信長が重んじた理由がよく分かる。
「顔を上げよ、秀政。会いに来たのは、そなたの話を聞きたかったからじゃ。信長様亡き後、秀吉や他の臣下らがどう動き、何を狙い、何を恐れておるのか。そして、そなた自身が何を思うておるのか」
秀政は息を整え、真っ直ぐな眼差しを向けてきた。
「私に分かることであれば、すべて包み隠さずお話しいたします。この乱世がどこへ向かうのか、私にもまだ見えませぬ。ですが……信長公に仕えた身として、できる限りのことを」
その眼差しには迷いがありながらも、揺るがぬ信義が宿っていた。秀政という男もまた、信長を失った後の混沌の中で必死に立ち位置を探しているのだろう。
「では、聞かせてくれるか、秀政よ。私は、この先の行きつくところを見届けねばならぬ」
秀政は姿勢を崩さぬまま、しかし私と蘭丸に対して心を開くように、静かに口を開いた。
「……まずは、御台様にお伝えすべきことから申し上げます。清須会議において、三法師様が織田家の後継と定められました。信長様の血を引く正嫡として、という形でございます。しかし実情は、秀吉殿の采配が大きく働いております」
「うむ。やはり、秀吉か」
私が呟くと、秀政はわずかに目を伏せた。その言葉は、すでに勝家や長秀から聞いてきた話とも重なる。
〈百陸什陸へ続く〉
※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。
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