「私は信長の妻。真実を明らかにし、天下の行く末を見届ける義務がある」
そして、秀政の目を正面から捉える。
「ひとつ教えてくれ、秀政。そなたは秀吉を、どう見ておる?」
秀政は唇を引き結び、慎重に言葉を選んだ。
「……秀吉殿は、恐ろしいほどの才を持つお方です。判断は早く、戦にも強く、民心の掴み方を知っておられる。ですが、」
「だが?」
「……何かを隠している。そのように感じることがございます」
蘭丸が小さく頷いた。
「私も、秀吉殿は殿を尊敬していたとは思います。ですが……“殿の後ろに立つ”のではなく、“殿の座に近づこうとしていた”ようにも見えました」
秀政が、静かに言葉を継ぐ。
「もし秀吉殿が織田家の実権を握れば、その才覚ゆえ、この国をまとめることはできましょう。ですが……御台様をはじめ、古くより信長公に仕えてきた者たちが、そのままの形で残るとは、思えませぬ」
私は目を細めた。
「つまり……私の存在も、邪魔となる、というわけじゃな」
秀政は、深くうなずいた。
「だからこそ、御台様が秀吉殿をどう見ておられるのか、確かめたかったのです」
私は、胸に込み上げるものを抑え、静かに言った。
「私は、秀吉が殿の意を継ぐのであれば従う。だが、殿を己の欲のために踏み台にしたのであれば……その時は、黙っておるつもりもない」
蘭丸もまた、まっすぐに私を見つめていた。
「お方様が進む道であれば、私も従います。例えそれが、いかなる結末であろうとも」
秀政は深く頭を垂れた。その声音には、すでに迷いの色はなかった。
「……御台様のお心、しかと承りました。ただ、今はまだ世が固まりきってはおりませぬ。秀吉殿が真に殿の意を継ぐ器かどうか、それは、我らも見極めねばなりませぬ」
蘭丸もまた、私の傍らで静かに頷く。
「お方様。いずれの御身にも害が及ばぬよう、我らも力を尽くします」
私はゆっくりと立ち上がり、城外へと視線をやった。
「……殿の死から、早三月が過ぎようとしている。世は、あまりにも早う移ろうものじゃな」
誰が死のうと、時は止まらぬ。それは、どれほどの偉業を成した者とて変わらぬ。遠く、夏の空の彼方に、秀吉の影がゆらりと揺れた気がした。
こうして私と蘭丸、秀政のあいだに、まだ形を成さぬままではあるが、確かに芽吹きつつある“分岐点”への覚悟が、静かに交わされた。
その翌日、朝餉を済ませた私達に向かって、秀政が躊躇いがちに口を開いた。
「……御台様。もうひとつ、お伝えすべきことがございます」
秀政は視線を伏せ、畳の目を追うようにしてから、慎重に言葉を選ぶ。昨日から感じていた。秀政は何か告げたい事があるが、逡巡している、そんな風に。
「……清須において、三法師様が推戴されたのは、秀吉殿の働きかけが大きゅうございます。しかし、その裏には、もうひとつの事情がございます」
「事情とな?」
私が促すと、秀政は小さくうなずいた。
「信忠公の正室、美弥殿と、その御子お二人は――」
そこで言葉が途切れた。室内に、重い沈黙が落ちる。その重みがただならぬものであることは、すぐに察せられた。
「……まさか、生きておるのか?」
己が声が、わずかに低くなったのが分かる。
「はい」
秀政は、はっきりと答えた。
「本能寺の後、混乱の最中に比叡山方面へと落ち延びられました。その後、前田玄以殿が見つけ出し、密かに保護しております。今もなお、玄以殿の庇護のもとにございます」
胸の奥で、かすかな音がした。信忠の血は、もはや三法師のみと思うておった。まさか、御台の子が生きておったとは。御台たちは安土にいたはずだ。本能寺の変と同時に姿を消し、明智の手の者に捕らわれ、その命も失われた、それが世の見方であった。
〈百漆什弐へ続く〉
※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。
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