例えば、4歳息子におはじきで
「6+5=11」を丁寧に説明して
「わかった?」って聞くとします。
息子は「うん」って言います。
例えば、8歳娘に「冷蔵庫の冷えた麦茶をテーブルにあるコップに入れたら、コップに水滴がつくね。これは、コップの近くの目に見えない小さな空気が冷たい麦茶に冷やされたことで分子がくっついて目に見えるくらいの大きさの水になったんだよ」って説明して「わかった?」って聞くとします。
娘は「うん」って言います。
でも、
「なーるほど!」
「わかっちゃった!」
と合点がいったり、納得したりはしていません。
「へー」「ふーん」
「ママが言うんだから、ま、そうなんだろうね」
くらいでしょう。
私にも覚えがあります。
中学生とか高校生で、
数学がだんだん難しくなってきた頃。
技術系の仕事をしていた理系の父親に
たまに勉強をみてもらっていました。
一応、嫌がらずに教えてくれるのですが、
自分はおそらく簡単に理解できたことだからか、
理解できない娘=私をもどかしく思っているようで、
ところどころに、
「なんでそんなことも分からないのか?」
っていう無言の圧力みたいなものを感じていました。
でも、私も子どもだし、
理解力が不足している自分が悪いから
父親に「物足りない」と思われるのは
仕方ないものだと思い込んでいました
時は流れて、私は大学生になり、
実家に帰省した折に、バブル経済についてだったか、
わからないことがあるから父親に聞いたんですよ。
父は一通り仕組みを説明してくれたんですけど、
私はきちんと理解できなかったので、
質問を重ねていたんです。
すると父親が「どうして分からないかなぁ」って
私を馬鹿にするような言い方をしたんですね。
私は自分の理解力のなさを恥じ、
何度も説明させて申し訳ないなと思ったけれども、
「これ、なんかおかしい」って違和感を覚えました。
「わからないから教えて」
ってお願いしているんだから、
一通り説明されてもまだわからなければ、
それは私が悪いんじゃなくて、
父の教え方が悪いんじゃないのか?って
気づいちゃったんです
だから、「わからないって言ってるんだから、わかるように教えてよ。わかるように説明してくれないパパの教え方が下手なんじゃないの?その説明では、○○がどうして△△△なのかが私はわからないよ」って食い下がったんですね。
すると父は「はっ」としてました。
教えを請われて説明しても、
それでその子がわからなければ
「教え方」が悪いに決まってる。
「お前馬鹿だな」では何も進まない、
ってことに彼も気づいたんだと思います
「わかった?」って聞かれたら、
あやふやなところがあっても「はい」って
言った方がいいような気になりません?
せっかくここまで教えてくれたんだし、
ちょっとはわかったし。
自分がわかっていないということをメタ認知するのは
結構むずかしいことなんですよ。
すぐにその場で理解度チェックテストでもしてもらわないと、自分がどこまで深く理解しているかは、なかなか把握できません。
つまり。
「わかった?」って聞くのは、「私はきちんと教えましたよ。やるべきことをやりましたよ」っていう宣言でしかなくて、「まさかわかってないなんてことはないでしょうね?」という圧力でもある。
子どもの理解を真には問うていないんです。
だからつい口から出そうになりますが、
私は子どもに
「わかった?」って聞かないようにしています。
「わからないところはどこ?」って
子どもがゆっくり内省できるよう、
おだやかに聞くようにしています。
「わからないところがある」のが当たり前なんだと
子どもが感じて、そこを自分で探し出せるように。
関連記事