昭和30年代、小学生の私はオシャレもファッションなんてものも映画やTVドラマの中のキレイな女の子のものとしかなかった頃。毎日の通学には白いブラウスに釣りバンドがついたひだスカート。たいていは二才下の妹とお揃い。それもなんだかなぁ、というのが近頃のオネエチャンの気持ち。

横浜中華街は最近日本人の観光客が増えてきた。それでも夜はアメリカ軍のエライ人ていう外人さんがまだまだいる。そんな外人さんのブランケットを父がテーラーのオジサンに頼んで私と妹のオーバーに仕立ててくれたフワフワでモアモアのオーバー

ブランケットって毛布てことだってしったのはもうちょっと後。