3月、4月。卒業や入学など人との別れや新たな出会い、新たなスタート。そんな季節です。

 

 

そうした光景はニュースでも流れますし、実際に目にすることもあります。先日も大学病院で卒業式が終わったであろう晴れ姿の若者たちが楽しそうにしていました。これからは入学式や入社式などでしょうね。会社内では新人たちがオリエンテーションや研修の名の元にグルグル回ったりする様子を目にすることになります。

 

 

ダメだな……

純粋に微笑ましいとは思えない感情が心の深~いところから湧き出てくる。そしてその感情は体中を駆け巡る。そう、五臓六腑どころか毛細血管にまでのって手足の指先に至るまで全身に染み渡る。

 

 

羨ましさ?

妬み?

やっかみ?

ひがみ?

悔しさ?

後悔?

怒り?

 

 

否定したいけど、たぶん全部正解。( TДT)

なんかあのキラキラした感じが自分にはツラい。針のむしろに座らされる思いに陥ってしまう。

 

 

これ、誰か特定の相手がいればラクなんだよ。そいつを呪えばいいんだしね。ま、わかりやすく言うと、の話ですが。

 

 

でも特定の相手がいるわけではないので、その負の感情が全部自分に振りかかってくるわけですよ。これはツラい。逃げたくて救われたくて癒されたくて藁人形を必死に打ったら、その藁人形は自分自身だった…という感じだろうか。血まみれの自分自身の完成だ。

 

 

一方、もう一人の冷静な自分は、そんな風に羨んでも妬んでもなーんも意味ないことを百も承知しているわけだ。加えてそんなヘドロまみれの自分に対し軽蔑の眼で見てくるのだ。その眼差しの切れ味の鋭さはハンパなものではない。そいつと目が合うたびにズタズタに引き裂かれる。だから余計にツラい。こうなるともう自分と自分の闘いになってくる。

 

 

もちろん年がら年中そんな風に考えているわけではない。

普段は冷静な自分が理性でもってコントロールしているので、『隣の芝生が青いの?ふ~ん…でも自分も青くていいじゃん。』位に流せるんですけどね。でもこの‛桜の咲いている期間だけ’はダメダメな感情に襲われます。

 

 

ヘドロのようなこの思い、高圧洗浄機で一気に体外放出させることができたらいいのに。

 

 

毎年、桜をみると複雑な気分に襲われます。

 

 

 

 

でもね、私の好きな先生がこんなことを言ってたのを思い出しました。生徒たちに「将来、人にベホマズンをかけれるような大人になりなさい」という話の中での言葉です。

「人間ってのは人の成功を見て妬みます。たしかにそれが人間です。だけど人の幸せを自分のエナジーにしたり、人の成功を見てそれで感動するのも、それもまた人間なんだよ。……あなたのスタート地点が酷ければ酷いほど、あなたが頑張ったこと、成し遂げた功績は人に勇気を与えるんだ。」

…といった内容です。

 

 

止まってたって仕方がない、自分が動かないといけない、払わなければならない努力はハンパなものではないけどそれでもやるんだよ!それが人が人であるということなんだよ!ということを教えられた気がします。

 

どんな分野であれ、努力し、もがいてる姿はみっともないかもしれない。だけど自分が動いてこそ、変えてこそ、そしてそのギャップが大きければ大きい程、人に感動を与えることができ、同時に自分自身も人の成功を見て感動することができるのかもしれませんね。