桜も散り、ヘドロのような感情もかなり落ち着いてきましたが、、、。
先週は各地で入学式などがあったようですね。
アタクシも勿論高校受験は経験したわけですが、合格発表の時の光景を今でも思い出せます。
当然JW2ですから格技の問題があるわけで、証言をした上で、代替運動/レポート/作業などで何とか卒業させてもらえる学校を選ばないといけませんでした。調べてみても近くには1校しかなく、そこ一本狙いでした。自分の住んでいる校区/学区ではありませんでしたから、成績は一割に入ってる必要がありました。500人生徒だとすると50番以内をキープです。
勉強嫌いなアタクシにとってそれを達成するのは容易ではなく、もう毎日地獄でした。ドラミちゃんのように『教科書読んでた位だよ~』と言って、毎回5教科470点軽く越えるような人種ではないのです。((笑))ま、そんな中で毎回1割をキープできたわけではありませんでしたが、それなりに必死に食らい付くことができ、その学校を受験する許可は与えられました。
おかげさまで無事合格!
ま、受験の時には絶対大丈夫という根拠のない自信はありましたが。
格技の授業拒否のことは当時でもニュースになっていたり、会衆の中でも実際に学校と揉めに揉めまくって、保護者が毎日のように呼び出されたり、卒業が危ぶまれた諸先輩たちもいましたから、皆さんそれなりに気にはしてくれてて当然『どうだった?』という話にもなるんです。
『はい!合格しました!ありがとうございます!』
こちらも当然そう言いますわな。
次の瞬間だよ。
みんなが、み~~~んな言うんだよ。
『エホバだね~!』って。
最強のパワーワードやったな。「感謝だね~」という奴まで出てくる。
自分の中にある『自尊心』が、ぜ~~んぶガラガラと崩れ落ちた。
文字通りにその音が聞こえる位、衝撃的だった。崩れ落ちただけではない。消えてなくなった。
『よかったね!』『おめでとう!』『やったね!』『すげーじゃん!』『がんばったね!』
ただ単純にその言葉だけが欲しかった。
でも、み~~んなその言葉の後に『エホバが~』という言葉をくっつける。
『頑張りをエホバが認めてくださった』『よかったね!エホバのご意思だったのよ』みたいにね。
なんなん?
頑張ったんボクですけど?!
神の祝福があれば/ご意思なら、バカでも受かるんかい?!
神の力で勝手にペンは動きませんけど?
自分の力だから正解も誤答もしたんだろ?
なんなら神はまた私が努力するかどうかを『試して』いたんかい?
そりゃぁね、今となりゃそのような言葉を投げかける気持ちも理解はできます。いわゆる『クリスチャンとして』模範的な声のかけ方だったのでしょう。神さまに生かされている/常に感謝するというスタンスなんですからね。だから彼ら彼女らに間違ったところはない。別にJWでなかったとしても一般の教会のメンバーだったとしても皆さんそのように声をかけたのかもしれないし、牧師さんだってそのように言うのであろう。こちらもそれでショックを受けたかもしれない。
『キリスト教とはそういうものなんだ。』
今ならわかる。
でも…さすがに15歳とかではそこまで考えられませんって。
皆に悪意はない。微塵たりともない。みんな純粋だ。みんな喜んでくれている。それは15歳の自分にも理解できた。だが、それがかえって傷ついた。
今でも決して忘れることができない高校受験の思い出だ。
その②へ続く
