UPし忘れてました。(^_^;)

せっかく書いたので1週間遅れですが。w

 

 

 

『あなたはこれら以上に私を愛していますか』

 

 

なんか…残念な記事でしたね。(いつもかww)

このヨハネ21章って、割と好きなエピソードの1つなのですが、

それを、ただJW活動を休むことなく働き続けろ!という適用で

済ましてしまっていることが悲しいです。

 

 

(ヨハネ21:15-19)

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15 さて,彼らが朝食を済ませた時,イエスはシモン・ペテロに言われた,「ヨハネ*の子シモン,あなたはこれら+以上にわたしを愛していますか*」。[ペテロ]は彼に言った,「はい,主よ,わたしがあなたに愛情を持っている*ことをあなたは知っておられます+」。[イエス]は彼に言われた,「わたしの子羊たちを養いなさい+」。16 再び,二度目に彼に言われた,「ヨハネの子シモンよ,あなたはわたしを愛して+いますか*」。[ペテロ]は彼に言った,「はい,主よ,わたしがあなたに愛情を持っている*ことをあなたは知っておられます」。[イエス]は彼に言われた,「わたしの小さな羊たちを牧しなさい+」。17 [イエス]は彼に三度目に言われた,「ヨハネの子シモンよ,あなたはわたしに愛情を持っていますか*」。彼が三度目に,「わたしに愛情を持っていますか」と言ったので,ペテロは悲嘆した。そして彼に言った,「主よ,あなたはすべてのことを知っておられます+。わたしがあなたに愛情を持っている*ことを,あなたは気づいておられます」。イエスは彼に言われた,「わたしの小さな羊たちを養いなさい+。18 きわめて真実にあなたに言いますが,もっと若かった時,あなたはいつも自分で帯をして,自分の欲する所を歩き回りました。しかし年を取ると,あなたは手を伸ばし,ほかの[人]があなたに帯をさせ+,あなたの望まない所に連れて行くでしょう+」。19 これは,[ペテロ]がどのような死+によって神の栄光を表わすか+を示すために言われたのである。それで,そう言ってから,「引き続きわたしのあとに従いなさい+」と彼に言われた。

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※聖書学的にはわかりません。

私が感じた読み取り方ですので、あしからず。。。

 

いや~…何とも感動的なシーンじゃないですか!

キリストとの濃密な宣教期間を終え、普段の生活に戻っている時の

出来事ですよね。

大きな達成感や感動と共に、大きな後悔も抱いていたことでしょう。

キリストが天に戻られた後も、自分は弟子としてやっていけるの

だろうか…そんな不安さえもっていたかもしれません。

そう、『主を3度否認する』という大罪を犯してしまったんですから。

 

これ現代のJWルールに当てはめたら、速攻排斥レベルですよね。

統治鯛を否定しただけで排斥の根拠になってしまうのですから、

キリストそのものを否定してしまった日には、、、ってやつです。

 

ま、それはともかく…

復活したキリストは、そんなペテロに会いにきたわけです。

『ペテロ君、お前、もうちょっとちゃんとしてくれよ!』

『ちゃんとしないと、また前みたいに俺を否認しちゃうよ?』

『否認しないための3つの方法があります。研究、黙想、実践です』

そんなことを説教しにきたんでしょうか。違いますよね。(^_^;)

 

きっとね、

『赦し』と『慰め』と『励まし』

を与えに、ペテロのもとに来たんですよ。

 

イエスの優しさがこの記述から読み取れます。

ペテロが犯した罪については一切触れていないものと思われます。

 

ただ、

『これら以上にわたしを愛していますか?』と言われたんです。

そして、このやりとりを3度繰り返したことは、その時点では、

ペテロ君らしく、3度目では少し悲しいモードになっちゃってますが、

これは、ペテロの3度の否認を『許す』ことを示しているのでしょう。

 

弟子としては‘失格’といわれても仕方がなかったペテロに対し、

イエスは1回ずつ尋ねることで、『あなたの罪は赦されている』という

ことを強調したのでしょう。挫折したり、もう二度と弟子として活動

できないかもしれない、そんな風に思っている人への対応、それを

イエスのこのやりとりが示しているのであり、それはペテロだけでなく、

キリストの記述を読み、それに従いたい、と思う人にとって、慰めや

励ましになっているのだろうと思います。

 

エホバ教に冒されてしまって、宗教がもううんざりモードになって、

すっかり信仰心がなくなってしまった私でさえ(笑)、この記述を

読むと、「なんかいい話だよね…」と思ってしまいます。(^_^;)

 

 

ま、長くなりました。他にもいろいろ意味や解釈はあるのでしょうが、

私の中では、そんな記述ですよ。この場面って。

 

 

それをだな、今回の記事ではあまりに短絡的に扱ってしまったわけだ。

この絵がそれを見事に表しているよ。キリストとペテロのそんな素敵な

場面を想像した後に、これを見ると興ざめします。

 

JWの活動しろよ!

仕事ばっかりするんじゃねー!

遊んでばっかりするんじゃねー!

買い物したりしてたのしむんじゃねー!

 

そんな内容にしてしまっているんですよね。台無しやで、ホンマ。

もっと働け!とか耐えろ!とかさ、そんな信仰や忍耐を

求めていた場面じゃないやん。

クローズアップするところはキリストの『赦し』や『愛』でしょ?

 

 

 

ちなみにこの記事を要約すると…

 

ちょっと紙持ってきな。

◆JWに費やしている時間を書き出してみろ!

じゃあ、

◆それ以外の活動をしている時間を書き出してみろ!

どっちが多いんだよ!?え!?

ふざけるんじゃねー!組織の為に働きやがれ!

じゃないと、ロトの妻のように富に仕えてるとみなして

滅ぼしてしまうぞ!それがいやなら従え!

 

記事の中では「あるべき位置に保ちなさい」という、お上品な

表現で書かれていますが、結局は上記のような要約になります。

 

 

 

あまりに稚拙な内容ですが、ついでですので、目だった点を

ピックアップしてみます。

ぜひ、冒頭で述べた、キリストとペテロの記述と、どこに共通項が

あるのか考えながら、見て下さいね。ないけど。(笑)

 

 

例えば、レクレーションに関してこのように圧力をかけています。

(13節)

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1週間に,集会,野外宣教,個人研究,家族の崇拝など,クリスチャンの活動に費やした時間を記録します。同じ週に,スポーツや趣味やテレビやコンピューターゲームなど,レクリエーションに費やした時間も記録します。それから2つの時間を比較します。どんなことが分かるでしょうか。“デザート”を減らす必要がありますか。

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もちろん、なんでも極端はいけません。バランスをとることは

大切です。でもこの考え方も極端であることに気づいてない…。

そしてJWの1番悪いところ。

「自分ではなく、人に適用するのが大好き♪」(笑)

きっと、これをね、こどもたちや研究生、会衆の中の自分より

霊性の低く励ましを与えないといけない、と思っている人に対して、

当てはめさせようとするんですよ。ちょっと紙持ってきてごらん?

とか言ってね。で、どんどん追い詰めて圧力をかけていく。

13節に書いてある内容、間違いではないです。しかしそれが

現代のJW気質と化学反応を起こしてしまうと、とてもとても

危険なものになりえることがわかります。

 

 

世俗の仕事に対してどんな見方をすすめていますか?

(7節)

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世俗の仕事は目的を果たすための手段に過ぎません。衣食住など基本的な必要を満たし,宣教を行なうために働いているのです。

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物凄い言い方ですね。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

宣教の為に働くんだ~…

だから、いとも簡単に仕事を辞めたり、中途半端で投げ出したり、

自分勝手な行動を取れるんですね~。禿増されますぅ~。

こんな奴らが地球上にウヨウヨしたら、文字通り世界滅亡でしょうね。

 

 

極端な例えが大好きです。きっとみなさんも唖然とされたでしょう。

(8節)

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こう述べています。「1年ほどいろいろ考えて準備を進め,屋台でアイスクリームを売る仕事を始めました。最初のころは売れなくてがっかりしました。以前の同僚たちにからかわれ,『エアコンの効いた部屋で働いていたほうがよかったんじゃないか』と言われました。エホバに『どうか力を与えてください。クリスチャンの活動のためにもっと時間を取れるように助けてください』と祈りました。やがて仕事が軌道に乗り始めました。お客さんの好みが分かり,アイスクリームを作るのもうまくなりました。毎日,売り切れになったほどです。コンピューターの仕事をしていた時より収入が増えました。以前の仕事で感じていたようなストレスや心配はなくなり,ずっと幸せです。一番うれしいのは,エホバをもっと身近に感じられるようになったことです」

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日本でも、一時期、開拓開拓!全時間の仕事は世的物質的!という

風潮がキツかった時代に、‘ポン菓子屋さん’をする人が続出しました。

(私の地方だけかもしれませんが)

そこらへんでポン菓子を売っている人に声掛けたらJWでした、みたいな。

でも、どうなったでしょう?

私の知っている範囲に限られますけど、ポン菓子に手を出した人、

み~んなJWを辞めたか、行方くらませましたか、家族が分裂したか。(^_^;)

そんなもんですよ。

 

世間をなめるんじゃねぇ!!゛(`ヘ´#)

 

自営やるなんて、それなりの根性や時間やお金が必要です。

生半可な気持ちで、手を出して成功るようなものではないと思って

いますけど、こんな形で事例を出されたら、バカな信者達は『王国を

第一にするために安定した仕事を辞めよう。そうすれば、エホバが

なんとかしてくれる』とか言いだすわけです。

そりゃ、マイコン信者一人でやる分にはいいですよ。幸せでしょうし。

でも犠牲になるのは、いつも家族や子どもたちだ、ってことを忘れない

でいただきたいですね。

 

 

最後に6節の部分を少し言い換えて、ブーメランにしてやりましょう。

(6節原文)

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6. 多くの人は世俗の仕事によってどんなストレスを感じていますか。

6 今日,大勢の人たちが仕事を探しています。仕事を失わないためには,たとえ賃金が安くても長時間働かなければならない,と感じる人も少なくありません。生産性を上げるよう絶えず要求され,体も心も疲れ切っています。会社のためにそうした犠牲を払わないなら,解雇されるかもしれないのです。

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↓変換!

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6. JWのうち一部の人たちは、その宗教活動によってどんなストレスを感じていますか。

6 組織内での特権を失わないためには,たとえ教理に理解できなくても、納得できなくても、長時間働かなければならない,と感じる人も少なくありません。生産性を上げるよう絶えず要求され,体も心も疲れ切っています。組織のためにそうした犠牲を払わないなら,特権を失ったり、排斥されるかもしれないのです。

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バランスを保ちなさい!

あるべき位置に保ちなさい!

 

と聴こえの良い言葉を言っていますが、JW組織内でのバランスという

定義自体がおかしいですから。(笑)

だって、どなたかも書いておられましたが、日々の生活、人生の中で

宗教のこと9割、その他のこと1割

 

これが健全です!って言ってますからね。

どこがバランス保ってるんだよ!

宗教ドップリ、まっしぐらじゃねーか!(笑)

 

宗教もあるべき位置に保ちましょう!

( ゚Д゚ノノ☆パチパチパチパチ

 

 

ま、もっといえば、その9割10割占めるように言われている

宗教が、ホントに魅力あるものであるならば、それでもいいわけで。

実際、JWの中で幸せ絶頂オルガスム状態になっている人もいます。

それはそれでいいですが、そう思わない人もいることも当然で

あるべきことを認識すべきだし、JWの世界で幸せを感じない人は、

この研究記事にあったように、信仰が足りないだの、物質的だの…

そんなことをとやかく言われる筋合いは微塵たりともないんだよね。

ウチらにしてみれば、2割3割にしとけば、それなりに幸せだったの

かもしれないけど、9割10割と言われると圧倒されるし、できない

自分に対して罪悪感もでてくるわ…幸せはあぁどこへ…みたいに

なってしまったわけですね。

 

イエスとペテロの冒頭のやり取りの後にも書いてあるじゃないですか。

21:20-23では、『個人それぞれに、わたしにしたがいなさい』というもの。

キリストに従う方法、人生も、人それぞれ、ってことを言ってます。

他人と比べちゃならん、ってことを教えているわけです。

さすがキリストですよね。

どこかの宗教のように、霊的なもの、ふさわしいものを作り上げ、

極端な、そして多少捏造された経験などを載せ自分と比較させ、

信者達を画一化しようとするものとは正反対のことを言ってます。

そのような教えだったからこそ、ペテロは殉教に至るまで、ヨハネは

流刑にされながらも啓示の書を書き上げることができたのでしょう。

 

 

長くなりましたが、先週の記事とヨハネ21章の記述を書きだして

みました。何の共通点があるのでしょうね。なーんもない!(笑)

塔記事の稚拙な内容に気づいていただければ幸いです。

目だった点は以上です。