緊急感をもつ
これがテーマでした。100年以上?使徒たちの時代から?
ずっと緊急感を持つように指導されています。
緊急感って一体なんやねん!と言いたくなります。実際のところは
イエスが絶えず見張っていなさい、と言われた言葉からの解釈
なんだろうと思います。そして西暦70年の滅びだのなんのかんのと
説明を加えていった形が、今における緊急間をもって奉仕をしなさい
という教理に繋がっているんでしょうね。
しかし最近ではあれほど過去に失敗をしながらも『時』に重きを置き、
もうすぐだ!目の前だ!ゴールは見えてるぞ!あと少しだ!
そのように煽るのをやめません。『時』なんて何ら聖書には明確には
書いていないのに。もちろん、終わりの日のしるしなど、予言されて
いる部分もあります。しかし『時』については、み子も知らない、と
述べているのです。私たちはあくまでも、絶えず見張っていなさい、
もっと単純に考えると、常に神との関係を重視し、感謝を捧げ、常に
み言葉のもとに自分を置きながら生活しなさい、そんな単純な話だと
思うんですね。ま、キリスト教も全然わからない私ですから、私なら
こう思う、のレベルの話なので細かい教理はわかりません。
しかし少なくとも今のwtの指導や、jwの生き方を見てると、そんな
絶えず見張るという精神とはかけ離れてしまってる気がします。
なんていうんだろ……神やキリストを飛び越えてしまってる、そんな
感じです。神の義ではなく、自分たちの義が証明されるのを願って
いるだけなんじゃないか、そう思います。自分たちが行うことは
確かに聖書に書いてあることかもしれない、しかし、もっと大切な
ことを忘れていますよー!そんな感じです。
今週の奉仕会のプログラムから感じたこと……
この人たち、終わりの日の教理が全くなくなったらどうなるんだろ?
そんな思いで会衆の成員たちを見つめてみると、とても可哀想な
気持ちになりました。
wtが変な煽りを行った結果、神やキリストを飛び越えて、つまり楽園
というプレゼントにばかり思いがいってしまい、プレゼントをくださった
方のことはほったらかし。そうではないでしょうか。
そして、時の緊急性を煽ることでしか、成員たちを動かすことは
できないのか?!と思いますし、成員自身も、時の緊急性に動かされ
なければ奉仕をしないのか?!と思います。信仰の土台は何なんだ?!
ということです。これは明らかに指導の仕方が誤っていたことを示す
強力な証拠だと思います。指導部の責任は重いですね。結果として
人々を神やキリストから引き離し、組織に堅くつく精神を培わせて
しまったのですから。組織に従うこと=神に従うことのルールを
出した時点でおしまいなんです。組織と神の関係がそこですでに
崩壊してしまってるんです。組織はあくまでも組織であるべきだっ
たのだと想います。指導をしたり、ましてや人を裁いたり…
それが間違いなんです。組織が必要ではないと言ってるのでは
ありません。しかし秩序を保つべき位置にとどまるべきなんです。
警察は必要です。彼らは法律に基づき様々なルールを設けています。
車が来てなくても信号は守らないといけません。それは社会が
滅茶苦茶な無法地帯になるのを防いでくれています。しかし警察が
生活を向上させるためだ!と各家庭にまで踏み込んであれこれと
指導しますか?しませんよね。夫婦喧嘩でも民事不介入で彼らは
取り扱えないんですよ。しかしwtは個々にまで介入をする警察に
なってしまったんです。これが間違いです。
ある程度の指針を出す、彼らが謙遜にそれに徹していれば、悲劇は
起こらなかったのでしょう。
気の向くままに書いたので、話が随分とバラバラになってしまい
ましたが…
しかし、今週の緊急感のプログラムから感じたこと、それは
『時』に対する信仰があまりに強すぎるな、ということでした。
私はもう結構ですが、これからもjwをしていこうと思われる
方には、ぜひ上で話したことをわかって欲しいと思いますね。
あなたは何に信仰を築いているのか?
楽園が自分の生きてる時に来ないことが確定しても、またはその
楽園の希望がなくなっても、あなたは神やキリストに感謝を
示し続けて、日々を過ごせるのか?ぜひ自問してください。
それでも、はい、と言えるのであれば、それは嫌味でも何でもなく
あなたは立派な宗教人、キリスト者なんだと思います。その
強い信仰に敬意を払いたいとも思います。
これがテーマでした。100年以上?使徒たちの時代から?
ずっと緊急感を持つように指導されています。
緊急感って一体なんやねん!と言いたくなります。実際のところは
イエスが絶えず見張っていなさい、と言われた言葉からの解釈
なんだろうと思います。そして西暦70年の滅びだのなんのかんのと
説明を加えていった形が、今における緊急間をもって奉仕をしなさい
という教理に繋がっているんでしょうね。
しかし最近ではあれほど過去に失敗をしながらも『時』に重きを置き、
もうすぐだ!目の前だ!ゴールは見えてるぞ!あと少しだ!
そのように煽るのをやめません。『時』なんて何ら聖書には明確には
書いていないのに。もちろん、終わりの日のしるしなど、予言されて
いる部分もあります。しかし『時』については、み子も知らない、と
述べているのです。私たちはあくまでも、絶えず見張っていなさい、
もっと単純に考えると、常に神との関係を重視し、感謝を捧げ、常に
み言葉のもとに自分を置きながら生活しなさい、そんな単純な話だと
思うんですね。ま、キリスト教も全然わからない私ですから、私なら
こう思う、のレベルの話なので細かい教理はわかりません。
しかし少なくとも今のwtの指導や、jwの生き方を見てると、そんな
絶えず見張るという精神とはかけ離れてしまってる気がします。
なんていうんだろ……神やキリストを飛び越えてしまってる、そんな
感じです。神の義ではなく、自分たちの義が証明されるのを願って
いるだけなんじゃないか、そう思います。自分たちが行うことは
確かに聖書に書いてあることかもしれない、しかし、もっと大切な
ことを忘れていますよー!そんな感じです。
今週の奉仕会のプログラムから感じたこと……
この人たち、終わりの日の教理が全くなくなったらどうなるんだろ?
そんな思いで会衆の成員たちを見つめてみると、とても可哀想な
気持ちになりました。
wtが変な煽りを行った結果、神やキリストを飛び越えて、つまり楽園
というプレゼントにばかり思いがいってしまい、プレゼントをくださった
方のことはほったらかし。そうではないでしょうか。
そして、時の緊急性を煽ることでしか、成員たちを動かすことは
できないのか?!と思いますし、成員自身も、時の緊急性に動かされ
なければ奉仕をしないのか?!と思います。信仰の土台は何なんだ?!
ということです。これは明らかに指導の仕方が誤っていたことを示す
強力な証拠だと思います。指導部の責任は重いですね。結果として
人々を神やキリストから引き離し、組織に堅くつく精神を培わせて
しまったのですから。組織に従うこと=神に従うことのルールを
出した時点でおしまいなんです。組織と神の関係がそこですでに
崩壊してしまってるんです。組織はあくまでも組織であるべきだっ
たのだと想います。指導をしたり、ましてや人を裁いたり…
それが間違いなんです。組織が必要ではないと言ってるのでは
ありません。しかし秩序を保つべき位置にとどまるべきなんです。
警察は必要です。彼らは法律に基づき様々なルールを設けています。
車が来てなくても信号は守らないといけません。それは社会が
滅茶苦茶な無法地帯になるのを防いでくれています。しかし警察が
生活を向上させるためだ!と各家庭にまで踏み込んであれこれと
指導しますか?しませんよね。夫婦喧嘩でも民事不介入で彼らは
取り扱えないんですよ。しかしwtは個々にまで介入をする警察に
なってしまったんです。これが間違いです。
ある程度の指針を出す、彼らが謙遜にそれに徹していれば、悲劇は
起こらなかったのでしょう。
気の向くままに書いたので、話が随分とバラバラになってしまい
ましたが…
しかし、今週の緊急感のプログラムから感じたこと、それは
『時』に対する信仰があまりに強すぎるな、ということでした。
私はもう結構ですが、これからもjwをしていこうと思われる
方には、ぜひ上で話したことをわかって欲しいと思いますね。
あなたは何に信仰を築いているのか?
楽園が自分の生きてる時に来ないことが確定しても、またはその
楽園の希望がなくなっても、あなたは神やキリストに感謝を
示し続けて、日々を過ごせるのか?ぜひ自問してください。
それでも、はい、と言えるのであれば、それは嫌味でも何でもなく
あなたは立派な宗教人、キリスト者なんだと思います。その
強い信仰に敬意を払いたいとも思います。