※連発でUPしてます。何人かの方にリアルで、また個別でメッセ頂いたりして

心配していると言ってくださいます。そんなにマジに聞かなくても…

とか、体壊しますよ~とか。笑(;^_^A  お気遣いに感謝しております。

ありがとうございます。大丈夫ですよ!結構楽しんで記事UPしてますから。

逆にこの一連の記事で皆さまが倒れてしまわないようにご注意ください。




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これから大会だ、と言う方はネタバレ含んでいますので

当日までお楽しみ♪という方は閲覧にご注意ください。

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私、アリーナ席ではなくスタンドにいました。なんか、プログラム中、

特に賛美の歌の時に、何かが気になる…なんだろう…

やっと気づきました。アリーナの人たちのタブレットだ!

上の照明が反射してピカピカピカピカ…これかぁ!

上から見てるとカメラのフラッシュそのものですよ。あれは…

かなり迷惑ですね。

そんな事を思っていた1日目、これで最後にしようと思います。

というか、初日が1番突っ込みどころが多かったので、残り2日は

サラッとした報告になるかもしれませんがご容赦ください。




14:00~『シンポジウム:2次的な位置に保つべきこと』


これねぇ…個人的には今回の大会で、1番きっつい内容なのかな…

と思いながら、出向きましたがそうでもなかったです。

内容は酷いですが。ではその一例を取り上げたいと思います。


・レクリエーション

・飲食

・健康への関心

・交際と結婚

・家族の絆

・物質的な事柄


…と6つの分野で考えていく形でした。そして全体を通して考えるのは


①それらが占めるべき位置があるのは、なぜふさわしいことか?

②どのようにそれらを2次的なものとすることができるのか?


という質問に答えていく、という形をとってました。だから話し手が変わり

違うネタで喋っていきますが、それぞれで同じように考えていくので、

頑張ってついてこいよ、という形のシンポジウムです。


みなさん、①は大体予測はつきますよね?その通りです。神は

幸福な神です。楽しむことを禁じてはいません。イエスは婚礼の

席にもいきました、少し休みなさいとも言われた…などと言っておいて

②し・か・しっ!というWTお得意の論法ですね。結局、色んな締め付け

の推奨、神の言葉を踏み越えた人間の規則が語られます。


それにさ…わざわざ①を考える理由がありますか?

そんなん…本能やん…とか、当たり前やん…とか、理由っているの?

…とかそんな風に思いませんか?


飲食が占めるべき位置があっても良い理由…って言われても…

食べな死ぬやん!って感じなんですけど。ま、話的には、

飲食は神からの賜物=ギフトです。ギフトは相手を喜ばせるために

あるものです。飲食は必要を補うだけでなく、五感を使って感じたり

楽しんだりする分野が含まれているので、占めるべき位置があっても

それは間違っていません、と。 こうゆう理由をつけるんですよね。


なんだろ…この『別に構いませんよ』と

言われてる感は!?


ふさわしいこと?間違っていない?・・・・・・何かが違うと思う。

言葉足らずで申し訳ございません、そんな感じの気持ちです。


3部の健康への関心、もビックリしましたよ。①の理由が。


詩編115:17を開いてみましょう。‘死んだ者はヤハを賛美しません’

私たちは愛に富まれるエホバ神をいつまでも賛美したいと思って

います。でももし死んでしまうような事があれば、そうすることも

できなくなってしまいます。それで私たちは、この命と言う貴重な

賜物を大切にしたいと思っています。

→だから占めるべき位置があっても良い、といえます。


えっ!?(゚_゚i)

命を大切にする理由はそれなの!?


じゃあさぁ、じゃあさぁ…一般の方たちは何で命を大切にしてるの?

それとも一般の方は命を粗末にしてるの?エホバを賛美してないから。


細かい事を気にし過ぎる私がイカれているのでしょうか…

不平不満を述べるサタンに見習っているから疑問に思うんでしょうか…

祈りが足りないから、霊性が足りないから、信仰が足りないから

そんな部分に目が行くんでしょうか…??わかりませんわ、もはや。


そして、健康に関することが生活の大半を占めてはいけません。

ルカ12:25の引用から、私たちは生活の中で、どんなに関心を払い

努力したとしても、真の命、永遠の命どころか、私たちのわずかな

寿命をさえ延ばすことができないのです。

健康に関する関心は持って当然ですが、私たちが第一にすべき

事は神の王国です!


ま、この後は、健康のことは個人で決める事だから、他人がとやかく

言うべきではないし、まして特定の健康法を薦めるようなことをしては

いけません、と述べ、いつもの実演(奉仕中のBBA姉妹2人が特定の

健康法を薦めてる場面)があって、気を付けましょう、みたいなよくある

話なんですけど、それに至る過程の部分が、やはり何かが違うと思う

んですよね。←しつこい!?w


少し話は逸れるが、私は思う。上記の言葉に一言加えて読んでみよう。

(霊的)健康のことは個人で決める事だから、他人がとやかく言うべき

ではないし、まして特定の(霊的)健康法を薦めるようなことをしては

いけません。←その通りじゃないですかっ

特定の霊的健康法、薦めまくってませんか?開拓者、シモベ、長老、

RBC、HLC、ベテル、必要で出ろ、言語学べ、各種の学校…などなど。


話を戻します。4部の『交際と結婚』もそうです。


相手の事を良く知る必要があります。交際期間も、結婚式の準備を

行う時も。それで他に振り向ける時間や体力など多くのものを振り向ける

ことになってしまいますが、それは、2人が結婚した時に生涯エホバに

仕えていける事を考えると、交際と結婚は占めるべき位置が有って

良いものであると言えます。


……。3部と同じ???な感情が脳裏を描きます…。
他に振り向ける時間や体力…話し手は明言はしてませんが、王国奉仕に

費やすべき時間を奪ってることになってるのを忘れるなよ!結婚したら

2人で一生従うというのなら、ま、少しは大目にみてやろう。

みたいな感じに思えてしょうがないのですが…。私だけ???


5部の『家族の絆』の部分も色々な言葉が引っかかります。


話の趣旨は、エホバの証人ではない親族を敵とは思わないように

しましょう、というものです。

それでクリスチャンの原則に関しては一切妥協しませんが、信者でない

家族や親族を救うために、私たちはありとあらゆる者となり、ありとあらゆる

事をするのです。

しかし親には従う事は当然だが、神に従う事を第一にしなければならない

事を忘れてはいけません。

昨年の地域大会では親族が同意しない時も神の側に立たないといけない

ことを学びました。それは家族が排斥されたような時もです。

サタンは家族に対する自然な愛情をも悪用するのです。

未信者の親族の方の中には、私たちが霊的な活動を行う時間に自分に

何かするように言われる場面が生じます。それは高齢の親の世話をして

いる時かもしれません。ではそのような時、私たちは誰に向かって

NO!というのでしょうか?家族ですか?それともエホバですか?

そしてマタイ10:37を開けて偏った見方を推奨、家族はより少なく愛さねば

ならない、と。


ま、そんな話の展開です。

排斥ネタをコソッといれてきましたねぇ…。これなかなか文章では

表現しにくいんですが、現場で聞いていると、なぜ今そこでそのネタ?

感が満載です。

そして、またまた未信者がサタン扱いです。WTお得意の思考パターン、

エホバ?それともサタン?です。親族の事をサタンとは、話し手は言って

たわけではありません。しかし、話の流れから言うとそういう事になります。

こどもがJWになってしまうと大変です。高齢で動けなくなってきて、

泣く泣く自分の子どもたちに援助を求めた時、基本的には優しくしてくれる

のかもしれませんが、タイミングが悪ければサタン扱いされてしまうのです。

何て恐ろしいのでしょう。こどもが変な宗教に入ったことを死んでも後悔

仕切れないでしょうね、可哀想に…。

では考えてみてください。

自然の情愛を悪用しているのは一体誰ですか?




1日目の目立った点は異常以上です。