jw社会において『神』はあまりにも脚色され過ぎて

しまったのではないでしょうか。

『神』の姿、ご性格、物事の扱い方…など全てにおいて。

私たちは本当の『神』についてもっと知らねばならない

のかもしれません。


     PS:一つ注釈です
     今回の記事は、私がいつも楽しみにしている、
     るかさんの記事6/23付けの〔無名の兵士の詩〕に
     対する返信コメントも兼ねさせてもらいました。
     るかさん、いつも楽しい記事ありがとうございます。


いや、もしかすると、それぞれの人にとっての『神』が

いてもいいんでないか?!そのようにも思います。

それこそ『神はならせる』ではないのかな?

《神の愛》や、《エホバに近づく》の本が頭に浮かびました。

…。やはりどう考えても少し強引です。それこそ神はこうある

べきです、と人間の側が神に要求してるように思えます。

組織にとっての都合のよい『神』を作り上げてるとしか

思えません。自分たちが支配しやすいように…。

『神』は勝手に自分が作り上げられていく様をどう見て

おられるんだろうか…悲しみを覚えてるんじゃなかろうか、

そんなことまで思います。