人それぞれでいいと思うんですよね…。
ある方のブログで‘幸せに絶対論はいらない’と
書いてありました。ホントその通りだと思います。
‘神にお仕えすることこそ幸せのために必要不可欠
な要素です’というのは、あまりに短絡的過ぎませんか?
間違っているとは言いません。幸せな人もいるから。
でもJW的思想の典型ですよね、この方法だけ!というのは。
多様性を認めず、一致ではなく、『画一性』を求める。
つまり『幸せ』もこれ!と決めてしまうのだ、その他の
選択は全て愚かなものであるかのように教え込む。
幸せって何だっけ何だっけ?ポン酢しょうゆのあるウチさ♪
とかいうCMも流行りましたけど、それこそ何でもいいんですよ。
ところで離れた人に対して‘あいつ辞めやがった’みたいに
言うのを聞いた事ありませんか?
そんな事言う人って、本当は何をいいたいんでしょうね?
わたしは妬みだと思うんですよね。心配じゃぁないですよね。
困るんですよ、離れた人に幸せになられたら。
離れたから堕ちてもらわないと困るんです。放縦で下劣な
よどみの中で生活し、暴力と不道徳にまみれ、自殺してしまう
生活を送ってもらわないと困るんです。
または、本当は自分も離れたいんです。でもできないから
離れることができた人が羨ましいんです。自由が欲しいんです。
でもそうできないから攻めるんです。
もう悪循環ですよね。離れた人は離れたなりに傷を持っていたり
する、残ってる人ももがき苦しんでいる。
本当は、このような時にイエスの言われた『私のくびきは軽い』
という言葉を聞いて感動するんでしょうけどね。
その言葉でさえ、曲解し、気が付いたときには組織の手かせ足かせ
だらけの状態になってしまうんです。
それぞれの人が幸せになる権利を認めてあげることができれば、
今のこんな状況も生み出さなかっただろうにね…と思いました。