耶律阿保機 | われは河の子

われは河の子

ブログの説明を入力します。


 耶律阿保機は、916年に現在の満州・モンゴルを中心とする征服王朝の遼(最初の建国時には契丹(キタイ)の国号)を建国した遼の太祖で、当時の西アジア最大の勢力を誇り、遼は最初の征服王朝とも言われるが、後世の元や清のように中華王朝が、覇権を唱えた洛陽や長安などを含む黄河中下流域の中原(ちゅうげん)といわれる部分を支配したわけではなく、宗に替わって中国全土を支配したわけではない。


 なぜこんなことを書いているかというと、この耶律阿保機の名前と事績については大学受験の世界史で覚えたのです。

 現在ではどうかわかりませんが、当時(今から45年ほど昔)の受験世界史では、結構こうした西アジア史についての重箱の隅を突くような問題が出題されたものでした。

 1124年に金によって滅ぼされた遼の皇族である耶律大石(やりつたいせき)が西に走って、1132年にトルキスタンに西遼(カラキタイ)を建国するのを憶えたのも同様の勉強によってですが、当然の話ながらその後の大学生活でも、社会に出てからでも、これら知識は一度も使うことはありませんでしたし、思い出すこともありませんでした🤣

 その金を建国した女真族の完顔阿骨打(わんやんあぐだ)という人物もいました。ああ、どんどん記憶の糸がほぐれて来る⁉️


 それがなぜか昨日不意に意識の中に耶律阿保機という名前が浮かんで来たのです。

 中国の周辺諸民族については古くは万里の長城を築く原因となった匈奴(きょうど)をはじめ、様々な民族とそれらが作った国家がありましたが、遼も同時に思い出すことが出来たのには驚きました。

 

 私は脳卒中(左脳出血)による高次脳機能障害で短時記憶が損なわれる傾向があり、20秒前に飲んだ薬のことも覚えていないというのに、どうして46年前の記憶が残っていたのかは不思議としか言いようがありません。

 多分もう死ぬまで思い出すことも使うこともない記憶でしょう?🤣