「竹田の子守唄」の記事にも書きましたが、竹田を含めて、京都市内には昔から被差別部落と呼ばれる地域が点在していました。
主なところでは千本今出川上ルの楽只(らくし)、出町柳と田中の間の養生(ようせい)、バスセンターのある錦林、三条京阪の東に当たる東三条、新選組が屯所を構えた壬生(みぶ)、京都駅と鴨川に挟まれた地域の崇神(すうじん)、そして河原町通りをずっと伏見方面に南下した竹田、その近くの久世、伏見の街中の加賀屋敷などが挙げられますが、もちろんその地域に住むすべての住人が被差別民というわけではありませんし、近年は住民の高齢化と再開発で、地域の状況は大きく変わって来ているといいます。
そのような地域では、昔から住民の衛生管理と、コミュニティ形成のための施策として、市営による公衆浴場が設けられていました。
竹田地区にある「京都市立改進浴場」
もちろん市立の公共施設ですから、誰でも利用することができます。
私の予備校寮時代の友人に愛媛県松山市出身のカラスという男がいました。(本名は烏○と言いましたが、皆カラスカラスと呼んでいました。
彼は一浪後、京都産業大学に合格しました。
そして確か紫野の大徳寺の北辺り、今宮神社の近くにアパートを借りました。
2人とも原付バイクを持っていたので、それぞれ進学後も何度か行き来はありました。
お互い新しい住まいに落ち着いてしばらくして再会する機会があって、彼は私にこんなことを言いました。
「おい、みんつち、ワシんところの銭湯は100円で入れるんぞ!どうじゃ凄かろう⁉️」と得意げでした。
その頃私の下宿から徒歩5分のところにあった銭湯は1回190円だったと思います(その後在学中に210円に値上げした)。
紫野というと優美な地名ですが、やはり同和地区として認識されておりました。
その時には私も知らなかったのですが、彼がバイクに乗って通っていたのは令和元年に閉鎖された楽只地区の市営楽只浴場だったのかと思います
閉鎖された旧楽只浴場。
カラスはそこが同和地区だということを知らなかったのでしょう。
私たちの大学は、同和問題に対しては徹底した教育を施しておりましたし、産業社会学部で、社会病理学を専攻した私にとっては、このようなタブーこそ、学問的関心以外の何物でもありませんでした。
写真はすべてお借りしました。

