宮城県の「松島」、京都府の「天橋立」、広島県の「安芸の宮島」の3箇所が日本三景として古来その景観を讃えられて来ました。
私は大学のサークル「観光事業研究会」に入部して、1回生のゴールデンウィークに初めて旅行で訪れたのが橋立で、ここはその後仕事でも近くの宮津市に行った際に何度も訪れました。
天橋立の美女😍
私自身が「松島」ですし、仙台には二度住んだことがありますから、松島にも何度も行く機会がありました。
松島駅と松島海岸駅がありますが、自分の姓の松島で降りて写真を撮りました。
柳川の濠めぐりの遥か前に、やはり貸し切り状態で乗った「島巡り遊覧船」(こちらは定期航路だったが、たまたま他に乗り合わせる客がいなかった)
広島県でも仕事はしたことはありますが、宮島に行けなかったことは心残りです(それどころか、広島には2回行ったけど、原爆ドームも広島城も見れなかった🤣)
また、明治時代の大日本帝国海軍に防護巡洋艦松島型という物が3隻造られ.それぞれ「松島」「橋立」「宮島」と名付けられ『三景艦』と呼ばれました。特に一番艦の松島は、
防護巡洋艦「松島」
日清戦争時にわが国初の聯合艦隊旗艦(司令官が乗艦して艦隊の指揮を執る艦)の名誉を担い、「黄海海戦」において、清国海軍の主力戦艦「定遠」と壮絶な砲撃戦を行い、自らも直撃弾を受けて90名を越える戦死傷者を出す大損害を被るも、敵艦定遠を沈めることは出来なくとも、戦闘不能に追い込むという殊勲の働きを上げました。
この時燃え盛る甲板上で、瀕死の重傷を負いながら、副長に「まだ定遠は沈みませんか?」と問いかけ、副長に「沈めることはできないが、戦闘不能にしてやった」と告げられ、にっこり笑って息を引き取った三等水兵の三浦虎次郎の逸話がのちに軍歌「勇敢なる水兵」として歌われました。



