小説を書くということ | われは河の子

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昨日も書きましたが、原作執筆中の「車椅子探偵アリサの憂鬱 女優と河童と脳卒中」は第13回を終わって、原稿用紙換算で142枚も書いて来て、ようやく後半に入ったか?というところになって来ましたが、改めて自分に小説を書く才能なんてあるのだろうか?と思います。

 キャラクター造形、情景描写、ストーリー構成、そして私の書くものはミステリが多いので伏線回収に齟齬がないか気になります。









 そもそも私が小説を書き出したのは、今から30年以上前の北大研究生時代に、学生時代の京都の夏のイメージを「蝉鳴り」という短編に仕上げて、「函館市民文芸」に同行してその年の小説部門で佳作に入ったことがきっかけでした。

 それが評価されたような気になり、現在の「臓腑(はらわた)の流儀」の一遍である「干涸びた視線」と同じトリックを使った構成の若干異なる100枚に満たない作品を書いて、雑誌「小説現代新人賞」に応募したところ3次選考まで通った30編のひとつとして誌面にタイトルと名前が乗りました。(その時は松島花山という現在の号ではなく違うペンネームを使ったいましたし、作品タイトルも「そして刑事は鼻歌を歌った」という陳腐な物でした。しかし最終選考の7編には残ることができませんでした。

 その後またしばらくブランクがあり、2010年に父親の介護と看取りで函館に帰っていた時に、「すっぽん・かっぽん」をやはり「函館市民文芸」に応募して、その年の小説部門で入選して表彰されました。

 しかしその頃は小説を書くより切り絵を作る方に趣味はシフトしていました。

 そして執筆熱が再燃したのは片麻痺の障害者になってからでした。右手だけでスマホをホールドして、親指一本で執筆できることがわかったのです。

 私が重度の片麻痺の障害者に認定されたのは2018年でしたが(脳卒中発症は2017年10月)、翌2019年から「臓腑(はらわた)の流儀シリーズ」を書き始め、昨年までの7年間で7作品を書くことができましたし、昨年にはシリーズ集大成となる134枚の「カルス・ナックル」と104枚の「干涸びた視線」を書き上げて、シリーズを閉じることができました。

 そして現在の「車椅子探偵アリサの憂鬱」に着手すると共に、今年になってから(というより先月になってから)「碧の涙」のスピンオフ作品としての「逆光の距離」50枚をわずか4日で書き上げました。


 才能のある無しに関わらず、技術は磨けば進歩するはずです。私の左半身が今後劇的に動作が改善する可能性は少ないかも知れませんし、右脳被殻部分には大きな空洞が残ったままかも知れません。しかし幸いなことに右手でスマホを持って、親指で文字を綴ることはできますし、壊れた脳からも物語を紡ぐことはできます。

 

 いつも言うように、この不自由な身体障害1級という状態が私のキャリアであり、左片麻痺というのが現在の私のスキルなのですから、それを武器として生かし、闘って行かなければならないと思います。今のところ上手い下手は二の次です。

やりきることが大切です。作品のご感想をお待ちしております。