十角館の殺人〈新装改訂版) 施設本 | われは河の子

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 十角館の殺人 〈新装改訂版〉

 綾辻行人 1987年 講談社文庫 1991年


 大分県S半島J崎。その沖に浮かぶ孤島角島に、県内O市にあるK**大学ミステリ研究会の6人の男女が上陸する。1週間の探検と執筆休暇を過ごそうというのである。

 彼らはサークルの慣習に従い互いをミステリの歴史上著名な作家の名前をニックネームにして呼び合うという凝りようだった。


 そのメンバーはエラリイ(エラリイ・クイーン)、カー(ジョン・ディクスン・カー)、ルルウ(ガストン・ルルウ)、ポウ(エドガー・アラン・ポウ)、そしてアガサ(アガサ・クリスティ)、オルツィ(バロネス・オルツィ)であった。

 さらに島にはヴァン(ヴァン・ダイン)が先乗りして準備をしていた。不動産を営むヴァンの伯父が、とある事情で売りに出されたこの島を買い取ったので、ヴァンが「行ってみないか?」と呼びかけたことがきっかけだった。そういう経緯でヴァンが先乗りして食料品やプロパンガスなどを持ち込んで準備していたのである。


 学生たちは島内に建つ十角館という十面体の不思議な建物を宿泊場所とする。


 そもそもこの角島は、中村青司という奇矯で天才的な建築家が建てたもので、彼はわずかに離れた所に建つ青屋敷と呼ばれた母屋に妻と使用人夫妻と共に暮らしていた。

 しかし、その時から半年前、青屋敷は突然火を出して全焼する。焼け跡か住人4人の遺体が発見される。

 さらにその4つの遺体はそれぞれが殺された形跡があった。

 使用人夫妻は縛られた上で頭を斧でかち割られていた。

 中村夫人は絞殺されて、なぜかその左手首だけが斬り落とされていたが、火災現場からはその手首は発見されなかった。

 そして主人の青司は全身に灯油を浴びせかけられていた。4人の身体からはそれぞれ相当量の睡眠薬が検出されていた。

 さらに当時島に滞在していたはずの庭師の姿だけがかき消すように見当たらなかった。

 当局は、結局この庭師による連続殺人事件と断定した。

 そんな経緯で、島を相続した青司の弟の紅次郎が売却したのであった。


 翌日目を覚ましたオルツィはホールのセンターテーブルの上にきれいに並べて置かれた7枚のプラスチックの板を発見する。

 それらにはそれぞれ、第一の被害者

           第二の被害者

           第三の被害者

           第四の被害者

           最後の被害者

           探偵

           殺人犯人

と、記されていた。いつ、誰がこれを置いたのか?不安と疑惑が心中を駆け巡る学生たちの中で最初の犠牲者が出る。

 一人,そしてまた一人仲間たちが死んで行く。

 殺人犯は仲間のうちに潜んでいるのか?それとも死んだ中村青司が生きているのか?


 一方、本土では、かつてそのミステリ研究会に所属していたドイルこと、江南(かわみなみ)の元に「私の娘は殺された」と告発する中村青司名義の不可解な手紙が届く。やはり研究会員で、仲のいい盛須に相談すると、彼のところにも同じ文面の手紙が届いていることを知った河南は、独自の調査に乗り出し、中村青司の弟紅次郎に会いに行くが、そこで島田潔という男を知る。彼らはさらに過去の事件を紐解きながら時事に迫ろうとする。



 1987年に講談社のベルズから本書を引っ提げてデビューした綾辻行人を持って、新本格派の台頭と位置づけされる、日本推理小説史上の道標的作品で、その後講談社ノベルスから陸族と、トリック重視の大学ミステリ研出身者による若き才能が講談社ノベルスからデビューする。

 私は当時のノベルス版で読んだ時、その斬新なトリックに驚愕したのを鮮明に覚えている。

 彼はその後も幾多のトリックミステリを書き、新本格派を牽引した。


 クリスティの「そして誰もいなくなった」のオマージュであるが、当然同じトラックを用いるわけには行かない。

 さらに先行するひと世代前のトリックメーカーである島田荘司の影響も色濃く受け、作中の本土側の重要人物の島田潔は、島田荘司の産んだ名探偵御手洗潔の名の合成と思われ、ここにもオマージュが込められている。


 昨今読んでいた松本清張の確立した社会派ミステリのアンチテーゼである画、どちらも読んで面白い。ミステリとして整合性があり、面白ければそれでいいのだ。


 新装改訂版ということで、著者による手が綿密に入れられている。

 初読の時にはK**大学の学年表示が○回生になっているのを訝しんだが、それは直されていない。

 巻末の著者によるあとがきには、京都生まれで京大出身の著者が単に○回生を使うのは関西の大学限定ということを知らなかったからだと記している。

 初読以来強烈な違和感があったのは、大分県の大学生である彼らが、いくらサークルの慣習という稚技であるとはいえ、仲間たちの眼前での死を目の当たりにしても、その呼び方を改めない非現実さや、男子学生たちの一人称が「僕」で通されたことであった。いかにも作りものめいた匂いがぷんぷんとした。そこに作者のトリックを構成する肝もあったのだが、前述の回生を含めて事前調査の不足と行き過ぎた作り物感を感じた。

 

 嵐の山荘や、孤島での殺人という「クローズド・サークル」タイプのミステリは、いわば形を変えた密室で、そこに閉じ込められた物たちと外部の連絡手段がないということが被害者はじめ登場人物たちの孤立を高める効果があるが、それは同時に外界で起こっている出来事をクローズド・サークル内の者たちには知り得ないという特徴は、つい見落としがちになることを改めて感じた。