てっさ | われは河の子

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 何度も書いたことがある、高校を卒業して入った予備校の寮生活。

 そこは過酷な大学受験に鎬(しのぎ)を削る戦場ではなく、あてもない未来にもがく二流受験生の溜まり場で、私を含めてかなり個性的な男揃いでした。京都の霊峰比叡山の山懐八瀬の地で、滑稽な共同生活を送っていました。


 その中に淡路島から来たヨシモト君という男がいました。彼自身もユニークな人物でしたが、特筆すべきは彼と同じ淡路島の高校を出て同じ予備校に通っていた「てっさ」というあだ名の男でした。私たちの寮とは違うところに住んでいましたが、よくヨシモト君を訪ねて寮に遊びに来ていました。

 彼の本名は誰も知りませんでしたし、なぜてっさなのかもわかりません。

 ご存知の通りてっさとは鉄砲の刺身、つまりはフグ刺しのことです。ちなみになぜフグのことを鉄砲というかと言えば、「当たると怖い😱」からです。おそらくてっさもそういう人物だったのかもしれません。

 だいたいヨシモト君自身がさほどに優秀な受験生ではなく、つるんでいたてっさの学力も自ずと知れるというものでした。


 そのうち夏が過ぎ秋が来て、受験生にとっては焦燥に満ちた季節がやってきました。それぞれに初志を貫徹するのか、それともその時点の自己の実力を見極めて受験校を選択するのかが迫られる時期を迎えたのです。

 しばらくてっさが寮に遊びに来ないので、ヨシモト君に彼は最近どうしているのか訊きました。

 するとなんということか、当時四条木屋町の角にあったピンサロでバイトをしているとのことでした。

 高瀬川のほとりでケバケバしいピンク色の看板を掲げ、同じような色彩の半被を着た人相の良くない男が盛んに客引きをしているその店は、当時木屋町通りでは一軒しか見かけることのできなかったピンクサロンだったと記憶しています。


 翌年の受験が終わって退寮するまでに1〜2回はてっさに会ったような気がします。

 バイトが適役だったのか、かなり偉くなったらしく『今度来てくれや、サービスするで』などと言っていました。ちなみにそっちの方が面白く、稼げるので2年目は受験はしなかったように聞いていますし、見かけ上はてっさよりは真面目だったヨシモト君も、二浪の憂き目を見ることになりました。二流の学生寮でしたので、大多数が二浪することになりました。

 1人だけカオルという男がその寮に残りましたが、あとは夢破れて故郷に帰る者、別の棲家を見つけて転居する者様々でしたが、元々実力的に優秀だったキシモト君が2年目(実質3回目の挑戦)に、私と同じ大学の同じ学部に入ったくらいしか成功談は聞きませんでした。

 風の噂にてっさは某暴力団の準構成員になったことを聞きました。そのピンサロが、そういう組織の経営だったのでしょうね?


 そんなてっさも私と同じ歳ですから今年64です。どんな人生を送って来たことでしょうね?

 あれだけたくさんいた寮の仲間も皆音信不通になってしまいましたが、数年前に偶然Facebookで愛媛出身だったコーヘイを見つけました。今でも松山市に住んでいるようでした。


 寮生活の一コマ、左端で見切れているのが淡路のヨシモト、右端が宮津(京都府)のカオル


カオル(左)は身長が160センチ足らずで童顔だったためパチンコ屋でタバコを吸っていると補導されるので髭を生やしていました。

 右の長髪髭は、見事に京都外大に進んだツカサ。私はこの毛皮のちゃんちゃんこを着てアイヌ青年気取りでした🤪