臓腑(はらわた)の流儀 カルス、ナックル その⑤ | われは河の子

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ブキャナンに連れて行かれたそのピザハウスは、大型都市公園であるワシントンスクエアと対角に位置しており、雨に濡れた春の樹々の匂いがその辺りまで漂って、チーズの焦げるこうばしい匂いと混ざり合っていた。
 おそらく予約してあったのであろう4人掛けのテーブルにすでに1人の黒人女性が着き、その傍にウェイターが1人佇んでいた。
「やぁ、遅くなった。待たせたね!」
ブキャナンがそう言うと、彼女は破顔して立ち上がった。
 ショートカットヘアに表情豊かな瞳。大き目の口には真っ赤なルージュが塗られている。
 スタイルの良さは言うまでもないが、アジア人のナンシーに比べると圧倒的に肉感的である。
 その派手やかな肢体を金融関係者らしいシックで高価たかそうなビジネススーツに包んだ彼女が右手を差し出そうとすると、
「ストップ、バーバラ。コウは握手はしないんだ。奴の手に触れると大ケガをするぜ!ジョーも覚えておいてくれ!」
 そうして彼は2人を俺に紹介した。
「ケイ、紹介しよう。俺の彼女、バーバラ・ファーガスンだ。バーバラ、こっちがケイ・ライトニング・ミズシマだ。
 そしてケイ、こっちは若いがこの店のチーフ・ウェイターのジョー(ジョゼッペ)・ビアンキだ」
ジョーと呼ばれた青年はいかにもイタリア系といった巻き毛で、まだそばかすが残る童顔だったが、年齢はスーザンと同じく20代後半といったところだろう。
「ハイ、ケイ私はバーバラ。よろしくね。それにしても何よその顔、さてはトムにこっぴどくやられたようね?」
「ところが聞いてくれベイビィ、手も足もなく叩きつけられたのはこっちの方なんだぜ。ケイは早速ライトニング(電光)の称号を奉られたってわけさ」
「まさか、トルネードが負けたなんて信じられない⁉️」
 そういって目を丸くしたのはジョーだった。
「ジュードーってのは本当にボクシングより強いのかい?」
「柔道とボクシングの関係性については定かではないが、ケイが俺より強かったのは間違いない事実だ」
 ブキャナンがそう言うと、ジョーはため息をついて店内を見まわした。釣られるように俺も改めて店内を見渡すと、壁のそこここに、映画「ロッキー」のスチル写真が額に入れて飾られていた。
 そういえばこの店の店名である「イタリアン・スタリオン」Italian Stallion「イタリアの種馬」とは、映画の中でのロッキーのニックネームだったはずだ。
 そのことをジョーに問いただすと、驚いたことに、この店はフィラデルフィア美術館近くにあるその名も「ロッキー・バルボア」というピザ屋の姉妹店だというのであった。
 なるほど、ロッキーを演じたシルヴェスター・スタローンもイタリア系移民の息子だったはずだ。この街のイタリア系社会では輝けるヒーローなのだろう。
「けど少なくともトムは一矢報いたというわけね」
 バーバラは俺の腫れ上がった頬を見てそう言って笑った。俺は彼らの偶像を破壊した悪者にはならなくて済んだようだ。
 俺たちは各種のピザをオーダーしてシェアして食べた。ピザの他にフィラデルフィアが発祥の地と呼ばれるフィリークリームチーズサンドも食べた。炒めた牛肉とタマネギを細長いパンに挟んだシンプルなサンドイッチだったが、胡椒の味が絶妙に効いていてこのうえなく美味かった。


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 そしてデザートとして、イタリア発祥のウォーターアイスというフローズンドリンクまで供された。満腹した。
 昨日は中華、今日はイタリアンだ。考えてみれば移民社会のアメリカでは居ながらにして世界各国の料理が日本以上に土地に染み込んでいるのだろう。ここまで来て和食は食べる気にはならないが、ホームシックになったら探してみようと思った。
 店内は常にほぼ満員だったが、テイクアウトも多く回転率はいいようだった。
 客足の合間を縫って、ジョーが店主のピーター(ピエロ)・カンピオーニをテーブルまで連れて来て挨拶させた。
 赤ら顔で太鼓腹の大男だった。
 しかしアメリカに来て以来大男ばかりだ。
 ピエロは太鼓腹に引っ掛かって下まで降りないエプロンが似合う陽気なイタリアンという感じだったが、彼もまた正真正銘のアメリカ人なのであった。

 バーバラはよく食べたが、またよくしゃべった。俺に気を遣って平易な英語を使ってくれたのでとても助かったが、その辺にもインテリの矜持が感じられた。
「ケイはキヨトの出身なんでしょう?」
「京都を知っているのかい?もっとも俺は京都にある大学を出ただけで出身はホッカイドウという北の島だ。1972年にサッポロウインターオリンピックが開催された」
 「キヨト、知っているわ。美しい日本の古都。
 トーキョーに首都が移るまでの1000年以上の都ね。ワシントンD.C.が建設されるまでの首都だったフィラデルフィアとよく似た関係だわ」
 さすが名門コロンビア大学卒だ。ビジネススクールで、経済学を学んだと聞いたが、日本の歴史についても造詣は深いらしい。
「確かボストンと姉妹都市だったはずだけど、ここフィラデルフィアの方が姉妹都市には相応ふさわしいように思うわ」
 「君たちはこの街の歴史に誇りを持っているんだね?」
「オフコース!ここは独立宣言が裁決された街よ。日本やチャイナに比べたらUSAはわずかな歴史しか持ち合わせてはいないけど、そのいしずえを築いたのがフィラデルフィアなのよ。
 「その1200年の歴史を持つ京都の街も中国の長安を模して作られたんだ。中国の歴史は4000年だ、ため息しか出ないよ。
 ナンシーはさぞかし鼻が高いだろう」

一瞬ブキャナンとバーバラ目が伏せた。
「あのねコウ、ナンシーの前ではあまり中国の歴史の話をしない方がいいわ」
「へぇ、なぜなんだい?」
「それはいずれわかる。彼女と周大人の傷をえぐることになる」
 ブキャナンがぶっきらぼうにそう言って話題を閉ざした。

 俺は昨日ナンシーとの初対面の時に、ブキャナンが日本と中国の歴史と、アメリカの歴史を比較した時に、ナンシーが眉をひそめたことを思い出した。
「そうだコウ、ここの目の前にワシントンスクエアがあるが、あそこは夜の一人歩きはよした方がいい」
 トルネードがそう口の矛先を変えた。
「なんだ治安が悪いのか?」
「それもあるが、そっちはお前の実力ならそう恐れることもあるまい」
「じゃあ何だというのだ」
「ここには無名戦士の墓がある。この街きってのゴーストスポットなんだ。出るんだよ」
「トルネードのパンチもお化けには効かないのか?」
「この人ったら、どんな凶悪犯よりお化けが怖いらしいわ」
バーバラもそう言って笑った。

 昨夜に続いて楽しい宴だった。俺は2人と別れて歩いてチャイナタウンに帰った。
 蓬泉楼の自室に戻ると早速ナンシーが押しかけて来た。
「ちょっと聞いたわよ!あのトルネード・ブキャナンも投げ飛ばしちゃったんですってね!」
 夕食を摂りに店を訪ねたカール・スワン刑事が身振りよろしく、まるで実況解説のように語って聞かせたらしい。
「彼は市警だけではなく、このチャイナタウンやセントラルシティ界隈ではその名を知らぬ者はないほどの有名人であり、ヒーローなのよ。
 そのトルネードを初戦で破ってしまうなんて、アンタ、見かけ以上のファイターなのね。見直したわ。けどパンチももらったようね。なぁにその顔手当てをしないと明日になったらもっと腫れ上がるわ」
 彼女はそう言って、マーキュリー社のエマジェンシーボックス(救急箱)を持って来ると、俺の顔に軟膏を塗ってくれた。漢方の処方薬なのだろう、嗅いだことのない香辛料の香りがした。
 「今氷を持って来てあげるから、今夜はそれを顔に当てて寝ているといいわ」
 ナンシーは甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれた。張大人も王料理長もその様子を見て何事ならんと思ったようだったが、ナンシーが説明すると目を輝かせて俺に話をねだった。
 早く休みたかったが、なかなかままならなかった。

 そして翌朝、出勤前に周家にマッキンタイア刑事から電話がかかって来た。俺に緊急電話だった。
 バーバラ・ファーガスンの父親が殺害されたというのだ。
           つづく