障害と疼痛 | われは河の子

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 発足に向けてスタートを切ったNPO法人「CRPS(複合性局所疼痛症候群)ならびに難治性疼痛改善と啓発のための協会(仮)」はすでに準備グループに5人のメンバーが集結しております。   LINEグループもでき、本日そこに私見を述べさせていただきました。


障害と難治性疼痛


 私は2017年に突然起こった脳出血によって、左片麻痺(半身不随)という重篤な後遺症が残り、身体障害1級1種という、制度上最重度の障害指定を受けています。

 その内訳は(上肢2級、体幹2級、下肢3級)で、合わせ技で障害1級です。

 特に左上肢は機能全廃と認定されていて、まったく自己意思での使用に耐えません。

 もちろん不自由なことは限りないです。(なにせ紐が結べませんし、500mlのペットボトルのキャップが開けられません。手というものは左右ペアで働いて初めて役立つものだと動かなくなってから実感しました。)

 しかしながら不自由と不幸は違います。

 不自由ながらに工夫によってそれを克服している片麻痺さんは大勢います。

 さらにこの片麻痺という障害は、他の障害とは異なり、リハビリによってある程度の改善は見込めるところに特徴があります。(実際、発症から8年め迎えた私でもこの11月のリハビリ入院で、大幅に歩行が改善されました。しかし、失明した視覚障害者の方は絶対に改善することはありませんし、四肢喪失者の方もどれほどリハビリを積んでも喪った手脚が生えてくる可能性は皆無です。)

 つまり片麻痺という障害には耐えることも我慢することもできますが、難治性疼痛はその限度を超えていました。

 車椅子生活の私を見ると人は気の毒に思ってくれます。

 けど、本当に気の毒で残念で不幸だと思ったのは絶え間なく続く痛みだったのです😖


 というわけで、この障害と疼痛の板挟みということは、畏れ多くも昭和天皇による1945年8月15日のいわゆる玉音放送における終戦の詔書での「堪ヘ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」という感じですが、障害による不自由は忍ぶ(我慢する)ことはできても、痛みの苦しさ、辛さは堪えることは限りなく無理だったのです。


 そこで元来が医療機器のセールスマンだった私は、機械を使った治療としてのSCSに逃げ道を求め、それが上手く行ったことによって、一安心をつくことができましたし、万人に効くとは限りませんが、わが国ではまだ認知度の低い治療法を知らしめ、普及して行きたいという思いを抱くようになり、それが今回のからふるさんの発足に向けての思いと同調したと感じたので参加させていただいたのです。


 とはいえNPO法人を設立するに当たっての、最低限の賛同者10人にはまだ足りません。


 まだ準備グループですから、NPOとして実働するわけではありません。

 設立の趣旨にご賛同いただける方は、疼痛当事者でも、ご家族でも、純粋に趣旨にご賛同いただける方でも構いませんので、からふるさんの公式LINEにご連絡いただきたく思います。


 LINEホーム→友だち検索→アカウントID

@566nhzwp(@を入れるのをお忘れなく)です。

 最初から準備グループに参加のご意志のある方は私から直接招待することも可能ですから私にご連絡ください。

 よろしくおねがいしますウインク