けさの記事で、昔作った河童駒引きの年賀状の写真を載せました。
私は片麻痺の障害者になるまでずっと手作りの年賀状を作り続けていました。
高校の頃は見様見真似の木版画にチャレンジしました。
第一作、1979年(高校2年生17歳)の時の
何日君再来(ホーリンチンツァイライ)
翌年 函館元町風景。
さらに翌年、函館夜景。
しかし思い返して見ると、吹奏楽部だった中学3年の時には白黒の切り絵で、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンの切り絵を作っていましたから、切り絵への関心はその5年後に突如として起こったわけではなかったのかもしれません。
大学生以降はずっと切り絵年賀状でした。
結婚後くらいまで、プリントゴッコで一枚ずつ印刷するのが楽しかったですね。(後年は家のプリンターでコピーしました)
繭玉福助
伊勢地方の蘇民将来子孫家の注連飾り。
歌舞伎シリーズもたくさん作りました。
弁天小僧ならぬ河童小僧
息子と娘が幼い頃は三河漫才をやらせました。
最後に作った作品は西遊記でした。私にとっては毎年が河童年です🤣