宿泊予約の頃 | われは河の子

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かつて医療機器の営業販売で全国を廻っていた頃、年間250泊以上の生活でした。


 月間の稼働日が22日。このため21泊が必要となりますし、行きと帰りはフェリーでの船中泊でしたので合わせて月に23泊、これが年に12ヶ月ですから23×12で276泊になります。


 なにしろ現在のように宿泊予約サイトなどはない時代です。かろうじて、web予約できるホテルは増えてはいましたが、モバイルパソコンもスマホもありません。

 ひたすら電話をかけて予約するしかありませんでした。


 そんな中で唯一、福岡県柳川市でのこと。仕事が終わって暗くなってから予約してあるビジネス旅館に到着したところ、宿の主人が予約の受け忘れで部屋が取れていないことがありました。

 幸いその日は満室ではなかったので、すぐ部屋は用意してくれましたが、その日は二食付きで頼んであったのです。

 しかしこれも主人が近くの懇意な食堂に電話して、定食を一人前頼んでくれたのでなんとかなりました。



さらに茨城県土浦市では旅館に着いたものの受付に誰もいないという事件もありました。



 当時は1日の経費は7000円まで認められておりました(もちろん自分で持ち出し分を負担するのは自由ですが)、ところが意外とビジネスだと告げると安くなるケースもあったのです。



 また、温泉ホテルでは○殺の可能性があるので、昔から個人客は取らない傾向がありますが、宮城県の鎌先温泉のとある老舗ホテルに電話をかけた時は、電話を受けたのが支配人だったらしく、ビジネスだと告げると1人でもOKしてくれ、しかもホテルガイドに記載されていた価格より安い値段で予約を受けてくれました。そして当日行って見ると、次の間の着いた和室で、二の膳付きの豪華な部屋食が用意され、まったくビジネスとしての差別はありませんでした。


 福岡県や岐阜県では築百年以上の横溝正史の映画に出てくるような古風な宿にも泊まりましたし、茨城県東海村のビジネスホテルは、東海原発のメンテナンスで一年中作業員が宿泊するので、狭くて設備は貧弱ですが、二食付いて3000円台というホテルばかりでした。

宿の女将さんに「お客さんどこから?」と聞かれ『札幌からです。セールスです』と答えると、原発の関係者以外の人が泊まるのは極めて珍しいと言われました。


 その後インソールの仕事の時は会社でホテルを予約してくれましたが、自分であれやこれやと探すのもめんどくさいけど、楽しい作業ではありました。