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だれかに教えたいこと

53年前、1971(昭和46)年の今日、札幌丘珠空港発函館空港行きの東亜国内航空(当時)の第63便ys-11ばんだい号が、函館空港到着目前の18時5分の通信を最後に消息を断ちました。同日17時40分頃より海上保安庁と自衛隊による捜査が始まりましたが、おりからの悪天候と日没のため捜索は難航し、翌日17時25分頃、函館空港から北方に約18Km離れた亀田郡七飯町の横津岳山頂付近に墜落しているのが発見されました。乗客乗員合わせて68名が全員死亡しました。


墜落したばんだい号(写真はお借りしました)


 墜落原因は現在も不明ですが、当時操縦していたのはアメリカから赴任したばかりの副操縦士だったことから、慣れない副操縦士による人為ミスだったのではないか?と言われています。

 当時はボイスレコーダーやフライトレコーダーの設置義務はなかったため、機内の状況はわからないままです。

 横津岳にはばんだい号が墜落した斜面と山頂を挟んで反対側にスキー場ができ、私が子どもの頃はずいぶん滑りに行ったものですが、そのリフトを降りた辺りに慰霊碑が建てられました。


 さらにそれから5年後の1976年9月6日には、アメリカへの亡命を希望したソ連空軍のベレンコ中尉がレーダー網を掻い潜って、当時世界最速だった戦闘機ミグ25で函館空港に強行着陸するというミグ25亡命事件が勃発し、ちょうど中学の体育の授業でグラウンドにいた私たちは函館市上空を旋回しながら飛ぶミグ25を目撃しました。


 さらにばんだい号墜落事故からおよそ20年後、同じく丘珠空港発函館行きのYS-11に乗った私の目の前でプロペラに落雷したことは何度も書いています。

 危うくばんだい号の二の舞になるところでした😱

 

 

 

 

 

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