新 臓腑(はらわた)の流儀 白狐のお告げ ⑩のその1 | われは河の子

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 その夜七時、本町にあるアンバサダーの姉妹店であるラウンジ「ノーマ・ジーン」に関係者たちは集まった。 
 靖子とサムのピーポディ夫妻と孝一郎。今日、月曜日はアンバサダーが定休日のミッキイと塩田、そして退庁したばかりでスーツ姿の後藤検事。そしてなぜかミッキイの夫の加賀谷圭介の姿もあった。
 ミッキイは今日はオフなのでラフな格好をしていた。
「ああ、キミちゃん、こっちはいいの。ごく内輪の話だから放って置いてちょうだい。自分たちでやるからお気遣いなく。」
 8時の開店を前に店内に他に客はいない。ミッキィは雇われママの桐山貴美子にそう声をかけて、自分でグラスやアイスを用意し始めた。
「キミちゃん、迷惑をかける。これは天銀堂のお稲荷さんだ。君や女の子の夜食にでも食べるといい、三個しか残っていなかったけどね。」
 孝一郎はそう言って老舗餅屋の包み紙がかかったパックを貴美子に差し出した。
「水島さん、いつもありがとうございます。後ほど空いた時間にでもいただきます。」
 彼女はそう言うと受け取った包みをカウンターの下の棚に置いた。

「さあ、今夜はお祝いだ。またこれを抜こう!」
 サミュエルはそう言って秘蔵のカナディアン・クラブの20年物の封を切っていないボトルを取り出した。
「ヒュ〜!」
 圭介が歓声を上げた。
 
 「みんなそこで席はいいな?ああヤッコ、君は動かなくていい。支度くらいミッキィと俺で十分だ。」
 孝一郎はそう言うと皆の前にこの店のコースターを配り始めた。その上にミッキィが水割りを並べて行く。
  
 準備が揃ったところでグラスを手に持ったサムが立ち上がった。
「 今回は皆さんのおかげで危ないところを助かりました。先ほど検事さんにお伺いしたところでは、お狐様たちは、やはりヤッコと杏や真凛の関係についても気がついていたようです。これはいい金ヅルを掴んだと思ったようですが、その野望も未然に終わりました。孝一郎をはじめ皆さんには本当に感謝します。
 それを祝してカンパイ!」
 サムの乾杯の発声で皆グラスを合わせた。


写真はお借りしました


「さぁ孝ちゃん、皆んな待ってるのよ。早く事件を説明してちょうだい!」
 急かすミッキィを孝一郎は押し留めて、
「まずは今わかっていることをゴトケンから聞くことが先だな。」と言った。
 
 指名された後藤検事はゆっくりと手帳を取り出すとそれをめくって、
「まずお狐様こと谷川晃子だが、彼女は本名をパク・チェジェンといって、在日コリアン三世だ。京都市下京区の被差別部落出身だ。そして緑川潤は在日ではないが、やはり同じ被差別部落出身者で、そこのコミュニティを通じて昔から親交はあったらしい。」
後藤検事がそこまで話した時に孝一郎が付け加えた。
「北海道から出たことがないと、全国の、特に京都の被差別部落の問題はちょっと理解できない部分はある。二人が育ったと言われる鴨川の南の地区は、現在では再開発されて少しはマシになったようだが、俺が学生時代の1980年代は、絶対に行ってはならないというタブーな地域であり、京都の中にあって『ない物』と見做されていた地域だった。もちろんそこに対する差別もひどかった。ああ悪いゴトケン、話の腰を折ってしまった……。」
「いや、君の意見は重要だ。これからも構わないから口を挟んでくれ。」
 検事はそう言うと先を続けた。

「バスガイドの話はあながちデタラメでもなさそうだ。大手の旅行会社では出自がひっかかり採用されることは無かったが、小さなバス会社に潜り込むと、必死で勉強して京都の観光バスガイドとしては一流になった。その時仏教各宗派や民間信仰についても徹底的に学んだらしい。修学旅行で受け持った学校からは毎年名指しで指名を受けるほどの人気だったそうだ。」
「人は生まれではなく、本人の努力次第ということだな。」そう言ったのは圭介だった。親から受け継いだ会社とはいえ、高卒ながら北のトランプとまで称せられる成り上がり者になった身として共感する部分はあるのだろう。
「でもそんな優秀なバスガイドがなんで詐欺師になんて…?」
 そう言ったのはミッキィだった。

 「それが緑川も小山さんに言った、引率中に伏見稲荷大社で脳出血を起こして倒れたことが原因の一つでもあるようです。
 幸い生命に別状はなく、ガイドにとって致命的な失語症もなかったが、左脚に若干の麻痺が残った。これでは清水寺や伏見稲荷を案内引率するのは辛い。
 そこに持って来てコロナの影響が彼女の息の根を止めた。
 初年度はまだ労災保険も効いていたが、蔓延が2年目に入って、インバウンドや修学旅行の上洛が相次いでキャンセルになると、真っ先に整理の対象になってしまって会社を解雇されてしまったんだ。わずかばかりの退職慰労会をあてがわれてね。」
「それは深刻な話だ。」
 そう言ったのはサムだった

「しかも彼女は自分が真っ先に首を切られたのは、やはり部落出身者という出自が尾を引いているんだと曲解したのですね。もちろん会社としては、コロナ禍の中で生き残りを賭けたやむないリストラだったのですが、被害意識に固まった当人には、ここに来てまだ差別されるのかと思ったのです。そして、この理不尽な社会に復讐するために悪事に走ったのです。

 たまたま昔被差別部落で自分のことを姉と慕ってくれていた緑川と病院の待合室で再開したのもきっかけだったそうです。身体の接触を伴う補聴器などのセールスの需要が減り、密集の禁止によって大掛かりなコンサートなどができなくなり、音響関係の仕事にも影響が出ていた緑川も、いずれ沈む舟に乗っているよりは危険が小さいうちに脱出することを目論んでいたのです。

 二人は手を携えて今回同様コロナ禍で不安に満ちた社会につけ込んで、詐欺行為に手を出して、京都市内で数千万円の荒稼ぎをします。しかし次々とカモがひっかかることに気を良くして大々的に広告を打ったりしたのを京都府警に目をつけられて御用となりました。
 ただ、初犯だったことと、社会的背景など情状を酌量されて、懲役1年の判決は出たものの、執行猶予が3年着きました。民事的には被害額を全て弁償して被害者全員との和解が成立したのも大きかったようです。
 でも一度美味い汁を吸ってしまうとまた手を出してしまうのですね。彼女は昨年迫館に転入届けを出していますが、谷川晃子の通称で住民登録をしているので気付かれることもなかったし、前に懲りて、大っぴらに宣伝などせず、口コミに頼る活動をしていたんだが、噂が噂を呼んで都市伝説めいて来たので、道警の捜査二課が内密裏に捜査していたんだ。そこに水島から情報提供を受けて一気に内情がわかったということなんです。」
「なるほど、コロナ禍はともかくとして、部落差別や在日韓国人問題など、北海道で暮らす俺たちには全然知らない問題があるんだなぁ?」
 そう口を開いたのはケースケだった。
「さぁ孝一郎、そろそろ種あかしの時間だ!お狐様の詐欺はやっぱりトリックだったんだな⁉️」
 サムの持参した高級ウイスキーが回って来た彼は早くも赤い顔をして言った。

「それでは今回のヤッコが引っかかりそうになった事件について説明しよう。でもこれは、ミステリマニアにならそっぽを向かれるような単純な機械トリックなんだ。それとやはり単純な心理トリックだな。」
「単純だって⁉️」
「憤るなケースケ、凝りに凝ったトリックなんて推理小説の中にしか存在しない。単純なものほど現実社会では応用が効くし騙されやすいんだ。オレオレ詐欺だって、SNSの投資メール詐欺だって、どうしてそんな簡単で見え透いた手にひっかかると思うだろう?」
「それもそうよね。私も自分のことだけならともかく、杏や真凛を仄めかされたんではついついその気になっちゃって……。」
 靖子がそう言うとケースケがすかさず、
「そうそうそれだ。なぜお狐様はヤッコのことだけじゃなく、杏や真凛ちゃんのことまで見抜いたんだ?」
 と言った。
 サムも腕組みをしたまま大きく頷いている。

「ヤッコ、以前見せてもらったことがあるが、君はいつも杏と真凛ちゃんの写真を持ち歩いているんじゃないか?」
「ええ、今見せるわね。」
 靖子はそう言うと、ハンドバッグの中の保険証入れから娘と孫が並んで写っている写真を取り出して孝一郎に渡した。
 彼はそれを一瞥して裏返した。そこには杏の筆蹟で、「お母さんへ 杏より 真凛四歳」と言う文字がしたためられてあった。
 彼はその写真を一座に回した。

 「この写真を奴らに見られたのさ。」
 「見られたって、写真は出してはいないわ!
ずっとバッグの中に入れてロッカーの中にしまって鍵を掛けていたのよ!」
「ヤッコ、君はあの更衣室というかロッカー室が不自然にロッカー部分が隣の部屋との壁にめり込むようになっていたのに気付かなかったか?」
「そうね、そう言われてみると、ロッカーは壁の前に並んでいたというよりも、もっと奥から突き出していたように思うわね?でも言われなければ思い出さないわ!」
「そのロッカーが二重底になっていたのさ。
 この場合の底とは垂直方向にではなく、水平方向、つまり奥に向かって二重構造になっていたんだ。
 そしてその二重底は緑川の執務室ではないもう一つの部屋に向かいあっていた。
 そこで、その部屋にいた何者かが、君がお狐様と面談している間にこっそりと裏側からロッカーを開けて中の荷物、特にハンドバッグを取り出して中身を全部開けて見たんだ。
 これは、君が道場に入ってから、三つのドアを通り抜けた緑川の仕業だったと考えていいだろう。
 ちなみに、女性のハンドバッグの中身を見ればその人の人となりが一目瞭然だ。保険証入れには婦人科の診察券も入っていたんだろう?」
「そうね。」
「それなら婦人科が悪いことは明白だ。年齢から言って妊娠の可能性はない。
 そして保険証を見ると本名がわかる。君の姓がピーポディであることも確認できるし、写真から杏・小山・ピーポディの母親であることもね。」
「そ、そんな……」
「それから君は財布の中にたくさんお店のポイントカードなんかを入れているだろう?」
「最近はポイ活が趣味みたいなものよ。」
「たくさんポイントが貯まっているのを見れば君がマメな性格で執着心が強いことは推測できるし、カードが何枚もあれば、好奇心が強いこともわかる。これをお狐様はバスガイド時代に身に付けた語りの巧さで演出したのさ。」
 「でも緑川はどうやってそれをお狐様に伝えたのかしら?」
「彼女は耳が悪いと言ってイヤホンを着けていただろう?あれは緑川が無線で送信していたんだ。」
「なるほどそういうカラクリだったわけね。」
「そして、財布からカードを抜き取りスキマーという機械で磁気データをコピーして、それを偽造カードに貼り付けて不正使用したんだ。
 カード会社の決算が27日のところが多いから、それまでは気付かれにくいのが特徴だね。」
「そんな手口だったのね…でもなんで九千円なんて少額だったのかしら?」
 それは君を釣るために予告された最初の小難だったのさ。有名女優を娘に持つ君がビビってくれれば大きなカモになる。
 また九千円くらいでは被害届けが出されずに犯罪として捜査される可能性も少ないかもしれない。
カードのスキミング詐欺による九千円奪取は窃盗に当たるが、のちに君自身の手で20万円寄進させることができれば、これの犯罪性を立証するのは難しい。」
「そうするとヤッコの生年月日を聞いた途端にお狐様が干支を言い当てたのも同じ理屈なのね?」
 今度はミッキィが目を爛々と光らせてそう聞いた。
「そうだ。最初に緑川が保険証から生年月日を確認して、一覧表でも見てお狐様に伝えていたんだろう。」
「それにしても孝ちゃん、よく見破ったわねぇ!」
「ヤッコの話を聴いてコレしかないと思った。緑川は音響機器メーカーの社員だったという話も聞いたからね。後は実際に現場を見て証拠を掴むだけだった。」
「それそれ、昨日の話よね?」

「あらかじめヤッコと打ち合わせしておいたし、ケースケの協力を得て俺自身を加賀谷組の資材部長ということにしてもらって、制服も貸してもらった。
 そして、面会の予約日まで時間があったことを利用して新しい手帳を偽造した。」
「偽造ですって?」
「ちょうど正月だったのが幸いした。新しい手帳を買って来て、持ち主欄には本名と正しい住所、これは財布の中の運転免許と比べられると一発でわかるからな。そして勤務先は加賀谷建設株式会社にして、一月からの予定表に適当なスケジュールを書き入れておいた。
 先週月曜日からは札幌出張で、同庁近くのソラリア西鉄泊とも書き入れておいた。
 これを言い当てられた時点で、間違いなくロッカーの手帳が盗み見されていることが確信できたのさ。
 ついでにクレジットカードは昔付き合いで作らされて全然使っていないカードを解約した上で財布に入れておいた。財布の中に免許証と現金だけは入れておいたが、手帳と違ってこれを偽造することは公文書偽造でゴトケンに知られたらえらいことになる。」
 一堂が笑った。ここに集ってから初めての笑い声だった。

 「そして俺はお狐様と緑川の会話は一方通行ではなく、後々の口裏合わせのためにお狐様の話した内容も緑川には伝わっていると考えた。そこでまず、お狐様の言葉を録音しようと試みた。」
「だってあの部屋へはあの作務衣しか持ち込めなかったのよ。それにポケットすら付いてなかったし……。」
 そう言ったのは靖子だった。

 「そこでコレをだな。」
孝一郎は人差し指ほどの大きさのボイスレコーダーを出して見せた。かつてミッキィに預けた物を再び購入したのであった。
 「ヤッコから聞いていたから、通信機器を持ち込ませたくないんだろうと思っていた。でも身体検査などをすると露骨に怪しまれるからそんなことはしないだろうとも思った。そこでコレをズボンの股のところから右脚の中に落とした。足首は紐で縛ってあるから落ちることはないし、正座しているからお狐様に気付かれることもない。こうして録音したデータをゴトケンに提供したのさ。さらにお狐様から緑川への通信は盗聴器だと思った。
 あのゴテゴテした祭壇のどこかに盗聴器を仕掛けたら、道場で交わされた会話の一切は緑川のパソコンに保存されると思った。あ、それとおそらく緑川はその後の脅しのネタに被害者のデータは写真に撮ってやはりパソコンに保存しておいてあると思った。」
「それでその盗聴器は見つけたの?」
「あの場所で俺たちが見つけることはできなかった。でもそのために塩田さんに協力してもらっていたんだ。」
「そうそう、塩田の役割も聞いていなかったわよねぇ?」ミッキィが言ったのを受けて塩田は頭を掻いた。
「孝一郎さんに頼まれたのは、白狐教団の周りを周回して盗聴器探査器の操作をすることでした。
 孝一郎さんが建物に入って間もなく、機械が盗聴器の電波を捉え、あの建物の中で盗聴器が作動していることが突き止められました。」
「そういえば君も元は音響技師だったな?なんだ全然酒が進んでいないじゃないか?せっかくサムが持って来てくれたCCの20年ものだ遠慮せずにいただきなさい!」そう言ったのはケースケだった。
「社長ご存知なかったですか?実は私は下戸でして……。」
「下戸ぉ、下戸が何で酒場のピアニストなんてやってんだ?」
「私は昔から西部劇なんかで酒場でピアノを弾いているサルーン・ピアニストに憧れていまして、それを運良く美樹ママに拾っていただいたんですよ。」
塩田はまた頭を掻いた。

「ところが、わざわざ塩田さんの手を煩わさなくとも警察がそれをやっていたんだ。」
 孝一郎が後を続ける。
「俺も塩田さんも気付かなかったが、捜査二課(知能犯担当)が同じように白狐教団を張っていたし、警察車両が同じように盗聴器を監視していたんだ。」
「水島が話してくれた推理が役立ったと警察では言っている。」
後藤検事の冷静な声が出て補足した。
「まぁ、探偵風情が使っているような盗聴器発見器なら当然警察はもっと高性能な物を使ってるよな?」
「ともかく、水島の推理はことごとく当たっていました。押収した緑川のパソコンからは、被害者を特定するデータをはじめ、奴らの悪事の証拠が次々と出て来ました。明日から忙しくなりそうです。ああそれと、薬物も押収されました。」
「薬物ですって?」
「ヤッコ、君がお狐様と面談した時になぜか目が回ってフラフラしたって言っていたね?実は俺も同じだったんた。慣れない正座をして足が痺れたせいかと思ったんだが、どうやら一服盛られたらしい。おそらく道場に入る前に飲まされたコーヒーに睡眠薬でも入れられたのだろう。そう思った俺は昨日検察庁を訪れると、検察医の元、検尿を提出して来た。」
「彼の尿から睡眠薬が検出されましたし、同じ成分の薬が緑川のデスクから押収されました。
 これで容疑は詐欺だけではなく、傷害も加わることになります。実刑を免れることはできませんね。」

「なるほど、二重底のロッカーと機械による相互通信がこの事件のトリックなんですね?説明されてみればとても単純に思えます。」
 サムがそう言って大きなため息を吐くと、グラスの残りを一気にあおった。「ハイテクとローテクの合体ですね?」
「ヤッコも普通ならやすやすとひっかかることはないんだろうけど、薬で意識が朦朧としていたところに持って来て、杏や真凛ちゃんを引き合いに出されてついわれを忘れてしまったんだろう?高齢者が詐欺に騙されるケースは、オレオレ詐欺でもそうだが、家族、親族を巻き込みたくないという思いに付け込むんだ。」
「私はもう高齢者ってことなのね?」
 靖子はそう言って笑い、皆釣られて笑った。
「サムと塩田さんを除いて、ゴトケンも含めて皆んな同級生だ。誰だって同じさ。」
「僕は後期高齢者の方が近いなぁ!」
 サムが言い、笑いはさらに高まった。

「孝一郎、事件のあらましはわかった。あと一つだけわからないのはお狐様が言い当てた三色のカードのトリックだ。あれもやっぱりトリックだったんだろうな?」
 サムはミッキィから新しい水割りのグラスを受け取って言った。