錯視と幻視 | われは河の子

われは河の子

ブログの説明を入力します。

ブロ友のアービンさんは私よりひとつお姉さんですが、そのお歳にしては見間違うほどの美女です😍


アービンさんのブログより。


 アービンさんは紛れもない美人ですが、人の目の錯覚を利用した騙し絵にルビンの壺という図形があります。


黒い背景(地)を認識した場合には向かい合う2人の白い顔に見えます。

 その顔の白さを地として認識してしまうと黒い壺の図が浮かび上がります。

 

 人間の視覚の錯覚を応用したトリック・アートで、


このような物もあります。

 黒を地とした時には5本の白い柱にしか見えませんが、白を地とした時には向かい合う4人の男性の姿が見えます。


 有名な騙し絵にこんなものがありますね?


右を振り向いた若い女性にも見えますし、あごのしゃくれた老婆の顔にも見えます。


 不思議なことに脳は一旦どちらかを認識してしまうと、そちらの認知ばかりを優先させる特徴があります。


 


 

 これは昨年私が掘り出した、故郷函館に大正時代から昭和の中期まで存在した梁川町にあった護法院火葬場の写真ですが、

 私はずっと、建物の正面の三角の破風屋根の下が大きく開放されていて、内部の様子が薄っすらと見えると思っていました。

 建物自体が壮大な造りですので開いた扉の中は広く、ぼんやりと焼き竈が並んでいるように見えましたし、天井近くの壁に奥に向かって点々と灯りが灯っているようにも見えました。


 しかし、昨日になってよく見てみると(というより視点を変えて見ると)、建物の内部だと思っていた空洞は、なんと正面入り口前に聳えている松かイチイの樹であることに気がついたのです。

 煙突の位置からして、内部に縦に火葬炉が並んでいるのは構造的にあり得ないはずなんですけどね⁉️並んでいると思われた灯りは枝の隙間から向こうが透けて見えていた部分でした。


 言い訳するようですが、私は脳卒中の発症以来高次脳機能障害という後遺症に襲われて、特に視覚性の障害と診断されています。


 そこに持って来て、普段あまり馴染みのない火葬場などというワードが自分の脳にフィルターを掛けてしまったのではないか?と思いました。


 また錯視とは違いますが、私は脳卒中で倒れた時とてんかんで倒れた時には現実には存在しない幻視も見ましたし、今でもたまに、麻痺側の左目の片隅に、もう12年も前に死んだミニチュア・ダックスフントのりんが、歩いてくる幻視を見ることがあります。

生前のりん。


 不気味でしょーもない話の冒頭にアービンさんのお顔を紹介させていただいた失礼は幾重にもお詫びいたします🙇

 アービンさん❤️すみませんでした💓