名問い | われは河の子

われは河の子

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先ほど、りまりまさんが、先週の金曜日の夜に寝ている時何かに取り憑かれたように犬のような唸り声をあげていた(ご自身が)という記事を拝読して、それは古代に宮中を警護していた隼人という民族が相手を威嚇するのと魔除けのために犬の鳴き真似をした狗吠(くはい)という行為そのものではないですか?とコメントしました。


 この吠え声に関しては万葉集の巻十一の2497番に、


 隼人の名に負ふ夜声のいちしろく

 我が名は告りつ(のりつ)妻と頼ませ


 という歌が載っています。


 有名な隼人の狗吠の声のように大きな声で私は自分の名前を告白したのですから、これからは妻として信頼してください という意味です。


 古来名前を告げること、また他人に名前を知られることは人格や魂そのものを捧げること、すなわち結婚を承諾することと考えられていました。


 そのくらい昔の人は名前を大切にしたので、武士などは本名に諱(いみな 忌み名という別名を使っていました。)

 例えば新選組副長の土方歳三は諱を義豊といいましたが、これを使って呼びかけるのは主君か親、あるいは本人に限られていました。それ以外の人が使うのは大変に無礼なことと考えられていたのです。


 ちなみにこの土方歳三の実家の当主の名前も代々不思議なことに隼人といいました。たった今気が付きました。


 さて、日本最古の歌集である万葉集の冒頭の歌は雄略天皇の御製歌です。


この岡で籠とへらを持ち菜を摘んでいる少女に名前も家も告げよと言っているのです。要するに妻になれと言っているのですね。(もちろん正妻ではなく数多いる側女の一人にするつもりなのでしょうけど😜) 

 この大和の国は我自身の物だと誇ってはいますが、大変残虐な天皇だったと伝えられている雄略にしてはたかだか一介の菜摘の少女にどことなく気弱さを感じるのは私だけでしょうか?


 実は雄略天皇が名前を問うたケースに一言主の伝承があります。

 

 古事記の雄略天皇の4年の記事に、天皇の一行が葛城山に鹿狩りに行った時に尾根の向こうから天皇の一行とそっくりな(おそらくドッペルゲンガーだと思われます)一行が現れ、自らこの国の大王だと思い上がっている天皇が「名を名乗れ」と言ったところ、「自らは善きことも悪きことも一言で言い放つ葛城山の一言主の神である。」と言われて畏まり、群臣の着衣まで脱がせて奉ったという天皇にしてみれば屈辱的な出会いがあったといいます。


 そんなことから数多くの政敵や気に食わない臣下を無惨に殺戮したと言われる雄略天皇もたかが一人の子娘の名前を問うのに恐るおそるだったのかもしれません。


 私は葛城の一言主神社に参拝したこともありました。