昨日の観劇の記事でちょっと書いた歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」。
ご存知の通り江戸時代の文政年間に江戸で起こった播州赤穂の浅野内匠頭と、吉良上野介の刃傷事件から浅野の切腹、それに伴う赤穂浪士の討ち入りとその後の切腹までを時代を鎌倉時代の京都に変更して、登場人物も浅野内匠頭が塩冶判官、吉良上野介を高師直、討ち入りの主役大石内蔵助を大星由良之助と改名しています。
これは浅野の領地赤穂が塩造りの国であること。吉良上野介が、幕府の典礼作法などを司る高家という職に就いていたことなどを連想させます。大石→大星は語呂合わせですね。
これは史実をそのまま浄瑠璃や芝居にすると不都合があったからです。
赤穂事件は結局は赤穂主従の切腹という処置が取られ、吉良側は当人こそ討ち入りで首を取られましたが、お家はお咎めなしで、いわば赤穂側だけに厳罰が下された片手落ちの仕置きが庶民の反感を買っていました。
しかし、それを表立って批判することは建前上民主主義の現在とは違いガチガチの封建社会であった江戸時代ではお上を否定することになり、下手をすると命がけのことになりかねなかったのです。
それで時間軸と場所、人物をあくまで架空の物「フィクション」とすることで隙を突こうとした物でしたが、当時の人たちにとってはそれが何を意味する物かは容易に判別することができます。
例えば、
これは昨日私が観たと書いた、人気の五段目の場面ですが、愛人お軽との逢瀬にうつつを抜かし、主君塩冶判官の最期に間に合わなかった早野勘平が武士の身を捨て猟師に身をやつして暮らしている場面です。
その背景を見ると、火縄銃と一蹴に獣の毛皮が干してあるのがわかります。
この火縄銃はストーリーに大きな関わりを持つことになるのですし、その後芝居には大きな猪も登場します。すると干してあるのは猪の毛皮でしょうか?
ところが、実際の赤穂事件は先に書いた通り文政年間の出来事ですし、当時の将軍で浅野内匠頭に切腹を命じたのは犬公方として知られた五代将軍徳川綱吉です。
昔習いましたよね?生類憐みの令という過度に動物愛護の悪法を施行した将軍です。
時代を鎌倉時代に移したとはいえ、本当は綱吉の治世だと皆んなわかっているのに、そこに獣の革を吊るしておくのは、綱吉の治世を皮肉っていることになるのです。
また前にも書いたことがありますが、外題の「仮名手本忠臣蔵」というそのものに皮肉というか揶揄があります。
仮名手本というのは仮名を書くときのお手本という意味で、いろは歌のことを指します。
当時の人々はいろはにほへとのいろは歌で平仮名を覚えたのです。
ところでこのいろは歌は昔から七行書きで書くことになっていました。
本来の歌の意味ですと、
いろはにほへとちりぬるを(色葉匂へど散りぬるを)
わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
うゐのおくやまけふこえて(有意の奥山今日越えて)
あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見し酔いもせず)
という万物流転・所業無常を歌った物であるはずですが、仮名手本としてはこれを
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこへて
あさきゆめみし
ゑひもせす
という意味不明な書き方をすることになっていました。
ここでいつもの昔からの沓冠の暗号です。
この歌の場合は沓になります。
七行の最後の文字を拾ってみると、上からと、か、な、く、て、し、すとなります。これは咎無くて死すという、仇討ちという武士の作法に則って行動を起こしたのに切腹を命じられた、すなわち無実なのに罪咎無くて死んだということを表しているというのです。
しかも当時のいろは文字は現在の50音と違い、違字体のゑやゐが入った47文字だったのです。
これを切腹した赤穂四十七士になぞらえて「仮名手本忠臣蔵」と名付けられたのです。
無実の罪で死なねばならなかった義士たちは主君に尽くす忠臣であり、それを切腹させた将軍と幕府を強烈に批判していると言えます。
江戸の庶民の反骨精神ですね!
たまに真面目で長い記事を書きます🤣
お付き合いいただきありがとうございます😊