シンアツシン時代 家庭用医療機器営業の闇 ③ | われは河の子

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今回は経費についてです。

 当時の出張はフェリーに乗って北海道を離れ

、ほぼ丸一月間の出張でしたから、それなりに経費も馬鹿になりませんでした。

 

 出発前に会社で経理から何万円の仮払い金をもらって出発します。大概フェリーの中で船中泊になりますから、到達したその日から宿泊が発生します。

 入社当時は1日7,000円の宿泊経費が認められており、これの中で食費まで賄うのもよし、自前で足し前をして豪華なホテルや旅館に泊まるのも自由でしたし、その会社では宿泊に関しては領収書は不要でした。

 ですから、お金を使いたくない人は車中泊すると、7,000円分丸々自分で使うことができました。


 私はほとんどが本州出張でしたが、年に一度くらい道南を廻るコースに当たると、函館の実家に泊まり、母の手料理を食べていました。

 北海道南部の町村はほとんど場所も道も昔から熟知していましたので、本州の初めて行く土地では不案内でできない50キロくらい離れた町まで函館から往復しました。

 函館市内でだいたい4日ほど会場開催しますし、その他に地方の町を含めて10日間くらい実家の世話になるとなんと7万円の小遣いが出来上がることになりました。

 もちろん地元の友人たちと飲みに出かけることが多かったですけど🤣


 ひと月の間に本州では県を三つ四つまたいで移動の毎日でしたから、ガソリン代ももちろん会社持ちです。当時私はずっとドイツ車(アウディ)に乗っていましたのでガソリンはハイオクでしたが、怒られることはありませんでした。


 このように毎日7,000円と、月に何度か給油をすると、最初に経理からもらった仮払い金では足りなくなって来ます。


 どうしてもの時は経理のミカさんか百ちゃんに泣きつけば、郵便口座宛に振り込んでくれますが、原則は『使う分は稼げ』でした。


 シンアツシンは約26万円でしたが、即決即売の手法だったため、その日のうちに機械はお渡しして、使い方を説明し、10日以内に郵便局から刷り込み手数料こちら持ちの振り込み用紙で送金してもらうようなシステムでしたが、支払いのトラブルは一度もありませんでした。

 その代わり、5,000円でも1万円でもいいから頭金をお預かりします。

 これが経費に組み込まれるわけです。


 またごく稀に現金で30万円くらいを持参される方もいらっしいましたし、後で現金で支払うから帰りに家に寄ってくれと言われることも月に数度ありました。

 高齢者のタンス貯金をまざまざと見せられた感がありました。


 こうして手許に10万円以上貯まると、今度はこちらから会社に送金するルールでした。

 紛失や盗難の防止と、自分の手持ち金とごっちゃになるのを避けるためでした。


 私は計算が苦手なので、最初から財布を二つ持って歩きました。ひとつは個人用、ひとつは経費分です。

 一人で飲みに出ることもありましたし、同じ地域に複数の営業マンがいる時には同じホテルを取り、揃って居酒屋に行ったりしましたから、持ち出しも結構ありました。


 ところが、そんなことがわかっているのに、日報の計算と、札幌に帰ってからの精算が合わない奴が出てくるのです。財布の中に何万円もはいっているから、つい気が大きくなって手を付けてしまうのでしょうか⁉️

馬鹿としか言いようがありません。

 また、盗まれたとか落としたとか子どもみたいな言い訳をする奴もいたことは事実です。


 いい加減な営業マンはうんざりするほど見て来ました🤣