110番の日 | われは河の子

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110番したことある?


 自分から110番したことはないが直後の現場に行き合わせたことはあります。


 大学生の時の夏休み中のことです。

 函館の実家に帰省していた私は旧友のキョーイチのところに電話をかけました。(もちろんまだ携帯電話なんてない頃のことです。)


 キョーイチとは中学の時の同級生で、共に吹奏楽部に所属しており、私はユーフォニアムを、彼はホルンを吹いていました。

 高校は別々の所に進学しました。その後私は一浪後京都の大学に進んだことはご存知の通りですが、彼は中学時代の吹奏楽にハマったまま、なんと音楽大学を目指していたのです。

 音大というのは、かつて漫画の「のだめカンタービレ」にも描写がありましたが。生半可な才能だけでどうこうなるものではなく、如何に実力とコネのある先生に付くことが出来るか?に大きなウェートが置かれます。

 東京、大阪ならいざ知らず、そこは地方都市のことです。詳しくは知りませんが,さぞ大変だったろうと思います。(この辺はゆらさんがお詳しいでしょう?)

 結局彼は3浪して、東京の私立音大に入学しますが、それは私が大学生で、彼がまだ浪人中だった夏の日のことでした。


 久しぶりに彼に会いたくなった私が自宅に電話をかけると彼は家にいました。

「これから会いたい」と私が言うと、打てば響くように『おお、家にいるから来い!』とのことでした。

 両親は共稼ぎでお母さんは先生だったはずでした。


 それでチャリに乗って当時開発されたばかりの五稜郭公園近くの農住団地という地区内にある彼の自宅近くまで行ってみると、夏場のことで開け放たれた2階の窓からぷぉ〜、ぷぉ〜というホルンの響きが流れ聴こえて来ました。

 「おっやってるな⁉︎」と思いつつも、なお道を曲がってみると、なんと彼の家の前に赤色灯をクルクルと光らせたパトカーが止まっているではありませんか⁉️


 そこからはもう刑事ドラマの世界でした。

 玄関では紺色の制服を着た2名の鑑識課員が,ドアノブにアルミニュームの指紋検出用の粉末を叩きつけているし、石膏で大きなスニーカーの足型らしいものの採取をしています。

 門前に自転車を停めた私に警備にあたっていた制服警官が当然のように誰何しました。

 私はこの家の息子の友人であることを告げ、来訪する約束によって来たことを告げると、割とすんなり規制線を越えて中に入っていいと許可が出ました。

 しかしドアチャイムには白い粉が一面になすりつけられた痕跡が残っています。

 仕方ないので玄関先で声をかけると、2階から『上がって来い』との声が降って来ました。


 それで靴を脱いで恐る恐る2階に上がると,彼は自室のベットの上で呑気そうにホルンを抱えて笑っていました。

 どうしたんだ?と問い詰める私に、彼は泥棒と鉢合わせしたんだと平然と答えました。


 彼の家は新興団地の中に数年前に建てられた家で1階は中央の居間を中心にぐるりと廊下が取り巻いている造りになっていました。

 そしてその居間の中には大きなグランドピアノが据えられていました。(ホルン専攻で受験しても、音大の場合はピアノは必須科目です。)


 話によると、その日も受験勉強(つまり練習)をやっていたのですが、練習に疲れた昼下がりということもあり、2階の自室のベッドでついウトウトとまどろんでいたそうです。


 ところが、ふと誰もいないはずの階下から物音が聞こえたので、何気なく階段を降りていくと、そこでバッタリと空き巣狙いの男と顔を合わせたんだそうです。キョーイチも驚いたでしょうが、もっと驚いたのは侵入者です。

 我に帰ると脱兎のごとく駆け出したそうです。

 キョーイチも後を追って廊下を一周しました。

 そこは初めて入った空き巣とその家の住人の青年の差です。徐々に距離を詰め,あと一歩で犯人の後ろ襟に手が届きそうになった瞬間,盗人はスニーカーのままでしたがキョーイチは靴下裸足です。

 スピードを付けて廊下のカーブを曲がろうとした瞬間に,脚を滑らせて転倒して泥棒を取り逃したのだそうです。

 犯人はそのまま玄関を開けて逃げて行ってしまったので、とりあえず110番通報をして、警察と監察がやって来ていろいろと尋ねられ、いよいよやることがなくなって、ようやく呼吸や心臓の鼓動も収まった所に私から電話が掛かってきたんだそうでした。

 『そんな取り込み中に、来いなんて言うなよ!』私が真っ先に思ったのはそんなことでした。

 そして何よりまだ捜査陣が家の内外にいるのに、私が来るまでの間、また2階に上がってホルンを吹き鳴らしていたのでした。

 呑気といえばこんなに呑気な話はありません。

 彼の大物ぶりを物語るエピソードでした。おかげでわたしはホンモノの警察の捜査というのをこの目で見る機会に恵まれましたけれどね🤣


 中学校の修学旅行、青函連絡船上の私(中)と後ろで手を上げているキョーイチ。

彼はその後音大に3年だか4年だか留年を続けた挙句、音楽家にはならず、当時勃興まもないIT関連の会社に就職しました。

 やがて起業して、最初の頃は苦労したそうですが、今から10年以上前に、昔の吹奏楽部の顧問の先生の退職記念パーティに共に参加させて頂き

、その時に聞いた話では、彼が作曲し彼の会社が提供した曲がTDLに採用されたことによっていっぺんに風向きが変わって、ようやく新しいホルンを新調することができると喜んでおりました。

 しかしながらその後、彼の携帯電話にかけると、都内でカレー屋をやっているインド人に繋がり、行方がわからなくなっています。

 どこまでもユニークで変わった男です🤣

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