ミステリースポット紀行 11 明日香の巨石文明 | われは河の子

われは河の子

ブログの説明を入力します。

奈良県明日香村には古代から残る不思議な巨石遺跡が溢れています。


 謎の亀石

 現在は顔は南西を向いていますが、この亀が西を向いた時には大和国一帯は泥の海に沈むとの言い伝えがあります。




酒船石

 酒の醸造に使われたとする説や、水を流して占いに使ったとする説、祭司の場であったという説など諸説あるが定まった物はまだありません。


鬼の雪隠(せっちん) 雪隠とはトイレのこと。


鬼の俎(まないた)

 この二つは組み合わさって、同じ古墳の石槨の一部であったと考えられています。


石舞台古墳

 わが国最大級の古墳で約30個の石組みからなり、最大の天井石の重さは約77トンと推定されており、当時の土木建築技術の高さを窺わせます。

 被葬者は、蘇我氏全盛期の当主で、後に中大兄皇子によって暗殺される蘇我入鹿の祖父に当たる蘇我馬子ではないかと考えられています。


 このように現在でも重機なしでどうやってこれらを作りこの地に置いたのか不思議でなりませんが、とりわけ仰天したのが、奈良県橿原市の橿原ニュータウンの山中に無造作に横たわる益田岩船でした。




横に立つ人物と比べるとその大きさがわかります。 

 東西約11メートル、南北約8メートル、高さ4.7メートルで、これも古来その正体を巡っては様々な説が提唱されており、推理作家の松本清張はペルシャのゾロアスター教の拝火壇説を唱えていましたが、現在では概ね、先に挙げた大化の改新の主役の1人、中大兄皇子の母であり、暗殺された蘇我入鹿とおそらく男女の関係であったと思われる皇極天皇の古墳を作るための物であったが、途中で破損したため放置された物と考えられています。

 (皇極天皇は重祚して斉明天皇。その墓である牽牛子『けんごし』古墳が調査によって岩船と同様の構造を持っていたことから推定されました。)


 私はこの岩船で、名古屋から来たという巨石マニアのアメリカ人男性と意気投合しました。

 彼は石垣島の海中遺跡にも行ってみたいと言っていました。


大化の改新で中大兄皇子に暗殺された蘇我入鹿の首を埋めたとされる飛鳥寺そばの入鹿の首塚。


 簾舞の内に居る皇極天皇の前を飛ぶ入鹿の首

 多武峰縁起絵巻より。画像はお借りしました