日本人は昔から言葉に関して非常に繊細なところがあり、歌人などは古来さまざまな技法を駆使して思いの丈をこめて来ました。
沓冠(くつかむり)という技法があります。沓とは、靴と同意で、履物、すなわち文の末尾の文字、冠も文字通り
文頭の一文字を指します。
平安時代に「徒然草」で有名な兼好法師が友人の頓阿(とんあ)に送った歌に次のような物があります
夜も涼し
寝覚めの仮庵(かりほ)
手枕(たまくら)も
ま袖し秋に
へだてなき風
冠を上から下に拾っていくと よねたまへ(米給へ)
沓は逆に下から上に拾うと ぜにもほし(銭も欲し)と米と金を恵んでくれるように頼んだ歌となります。
一方で頓阿の返歌は
夜も憂(う)し
妬(ね)たくわが背子(せこ)
果ては来ず
なほざりにだに
暫く(しばらく)訪ひませ
で、沓はよねはなし(米は無し)
冠はせにずこし(銭少し)という断りの意味を込めています。
それで数年前にブロ友のききるさんの名前を織り込んだ沓冠のインチキ詩を詠んでみました。
ちなみに彼女のハンドルネームの「ききる」とはアイヌ語で虫のことを指し、私の名前の「みんつち」は同じくアイヌ語の河童のことです。
気紛れに吹き鳴らす喇叭(らっぱ)
煌(きら)びやかなセーヌに市の立つ
瑠璃(るり)色の夕暮れは遥か
儚(はかな)き記憶に惑ふは
昔の恋の過ち
知られざる巴里(パリ)の秘密
出逢ひは凱旋門
素敵なりしか罠の微笑み
堀口大學「セーヌにて」より。
なんてすべてでっちあげの私の創作の沓冠です。
暇だったんだなぁ、昔も今も🤣