元NWA世界ヘビー級チャンピオンだったテキサス・ブロンコことテリー・ファンクの訃報が伝えられました。
彼は80年代に、ミル・マスカラスと並ぶアイドルレスラーとしてブレイクし、会場には親衛隊まで詰めかけるほどの人気を博しました。
ミル・マスカラスのダイビング・ボディ・アタック
私が初めてプロレスを生観戦したのは1975(昭和50)年3月9日の全日本プロレス函館大会で、その前月に竣工した函館市民体育館の柿落とし興行でした。
メインはジャイアント馬場対ジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級タイトルマッチで、1対1からの両者リングアウトの引き分けという当時のお決まりのパターンでした。
当時の世界チャンピオン、ジャック・ブリスコ。
テリーは彼の二代後の世界チャンピオンに就きますが、このシリーズに兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に参戦していました。
このメイン・イベントを会場の後ろの壁にもたれて観戦していたテリーにサインを求めたところ、邪険に断られました。😆
その代わり、快くサインに応じてくれたのが、この時初来日のグリーンボーイ(新人)であったものの、後にWWWFヘビー級王座に君臨してアントニオ猪木と死闘を繰り広げたボブ・バックランドでした。
その他にも力道山時代から日本を襲った「黒い魔人」ボボ・ブラジルなども参戦しており、今考えても豪華なラインナップでした。
その後もドリーとテリーのザ・ファンクスは年末の世界最強タッグリーグ戦などで何度も観戦しました。
荒馬テリー・ファンクのご冥福をお祈りいたします。
写真はすべてお借りしました