プラモデルを買いに | われは河の子

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ブロ友のアゼント株式会社 久保浩様が書いた軍人将棋の記事に遠い思い出を触発されました。


 軍人将棋!郷里の従兄弟たちとやりました‼️


 故郷函館に、1歳と3歳上の母方の従兄弟がおり、年齢が近かった私は兄弟同様に過ごしました。


 伯母と従兄弟たち。祖母に抱かれる私。

 おそらく函館八幡宮での初詣で、私の母がシャッターを切ったと思われます。

 今年の元旦にこの写真を初公開して、その二日後に倒れました😆


 私たちの祖父は戦地へ行ったのかは私は聞きそびれましたが、伯母や母は戦中派です。函館空襲の折、祖母と共にグラマンの機銃掃射から逃げ惑った話は聞かされています。

(わが家の息子や娘は、自分たちの祖母が戦争体験者だということも知らないでしょう。)


 ともかく男ばかりの昭和中期生まれは戦後何度目かの軍記物ブームなどにもあやかって、すっかりミリタリーオタクへの道を歩みました。(下の従兄弟は海上自衛隊の医官になりました。)

 当然男の子の定番であるプラモデルにもハマりましたが、まず上の従兄弟が、五重の塔とか、金閣とか、平等院鳳凰堂などの古建築プラモデルにのめり込んでいたのを思い出します。


 そして下の従兄弟と共に私が熱中したのが、大日本帝国海軍軍艦のウォーターラインシリーズでした。


画像はお借りしました。


 これは現在でも続いていますが、静岡県に本社を置く置くタミヤ・ハセガワ・アオシマの格模型メーカーが共同開発製造による喫水線上モデル(水に浮かんだ状態を再現した1/700スケールの模型)で、先にも書きましたが、当時は日本海軍の戦闘艦(戦艦・巡洋艦・航空母艦・駆逐艦・潜水艦)などで構成されていましたが、現在では、輸送艦や工作船・病院船・客船などの民間船籍の艦船や第二次世界大戦当時の各国海軍の名艦などもラインナップされています。


 小学校の時いっぱいをこのプラモデル製作を趣味として過ごした私は、主に五稜郭交差点、パーラー トップスの並びで、本町交番の真向かいにあった『あさひ屋』という模型店を一番多く利用しました。このあさひ屋は私が高校生の時に高校の近くの千代台町に支店を出し、そこは現在でもファンシー・ショップとして営業を続けているそうです。


 次に利用したのが、従兄弟の家と私の実家の中間地点の宮前町にあったウオツ模型店でした。自宅から3キロないほどの距離でしたので、自転車でも、歩いても行くことができました。



 昔銭湯だった建物を利用したというウオツ模型店は、私が倒れる前年の2016年12月の段階ではまだ営業を続けていたようでした。


 函館丸井デパートでの催事出張の時に朝ウォーキングでドSのSさんと一緒に亀田八幡宮を参拝して、懐かしの模型店が健在なことに嬉しい驚きを覚えました。


 小学生の当時私は2段ベッドの上段に寝ていたのですが、下の段に青いカーペットを敷き詰めて、そこに作ったウォーターラインシリーズの艦艇を並べて、ジオラマを使っておりました。


 ジオラマ風景 写真はお借りしました。


 やがて私がブログシリーズ『海と船の不思議』を書くようになる下地はこうして出来上がっていったのです。


 中学に入るようになると飽きっぽい性格はプラモデルから離れ、ミリタリーオタクは『大脱走』や『史上最大の作戦』『ナヴァロンの要塞』などといった戦争映画にシフトして行き、『あさひ屋模型店』も、もっぱらモデルガンの方の御用を務めるようになりました。





 なお、『あさひ屋』の名称は何年も思い出そうとしても記憶の中に埋もれておりましたが、今朝早朝に何気なく蘇って来ました。

 その上で函館に住む仲間に確認を取ったので、こうして記事を書くことができました。