河童汎世界論 | われは河の子

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私は河童研究家であり、河童大学においては河童文学部教授を務めますが、そこにおける私の立ち位置は河童とは全ての虐げられ、差別の対象となる存在。わが国においては朝廷にまつろわぬあらゆる民を指す存在と捉え、その祖を高天原を追われたアマテラスの弟であるスサノオノミコトとする河童=スサノオ論としています。

 その中には異人種・被差別民・障害者などが含まれます。

 

 日本に妖怪は数多存在しますが、ほとんどの妖怪はその出現地が限定されますが、天狗と河童だけは全国的にほぼ同一のイメージが伝わっています。


 子どもくらいの大きさで、甲羅を背負い、頭に皿のような凹みがあり、そこに常に水を湛えていて、この水が涸れると力が弱まる。  

 相撲が好きで相手をしてやるといつまでも取り続ける。

 両腕が体内で一本に繋がっており、引っ張ると抜けたり、戻したりすることができる。


 同様に刃物で腕を切り落とされても繋ぐことができる。

 人間に迷惑をかけて懲らしめられたり、この腕を切り落とされても、二度と迷惑をかけないという詫び証文を書くことで許され、その後薬の製法を伝えたり、魚を届けたり恩に報いたりする。

 薬を人間に伝えるという性格から医薬神の一種とも考えられる。


 わが国では医薬神といえば、因幡の白うさぎを助けたスサノオノミコトの子孫に当たるオオクニヌシノミコトと、彼に協力して国造りをするとともに薬を広めたスクナビコナノミコトが知られるが、少彦名命は小人、すなわち異形の物であり、身体障害者であります。


河童はさらに、人や馬を川に引き込み肛門から尻子玉という球体を抜き込んで殺してしまい、(特に祇園祭の期間に川に入るものに祟るという)

 また厠で女性の陰部を撫でたり、女性を孕ませたりする好色な一面も持ち合わせる。


 河童という名称は江戸、東京から全国に伝わったものだが、そもそも日本書紀の仁徳天皇記に記述がある虬(みずち)という水龍が日本における河童の元祖と考えられており、それが訛って東北の南部や津軽地方のメドツやメドチになり、さらにそれが北海道に渡り、アイヌの人々に伝えられてみんつちになったと思われます。

 大阪では河太郎(がたろ)であり、ガーラ、ガワラ、ガラッパなどの異名もありますし、馬を引き込むことから駒引きとも呼ばれます。


 大体にして、京都の祇園祭は昔京都に流行った疫病を鎮めるために起こった祭りですし、祇園祭は東山の八坂神社の祭礼であり、その祭神は牛頭天王ことスサノオノミコトです。

 現在でこそ、祇園祭のメインイベントは7月17日に行われる山鉾巡行ですが、本来は朝廷から勅使が八坂神社を訪れる旧暦六月十五日でしたし、現在の暦で6月15日は私の誕生日です。


 これ以上語ったら2日や3日ではすみませんが、さらに数年前から河童は遍く(あまねく)世界に通ずという河童汎世界論をも展開しています。


 これも何度かブログ上にて論述していますが、




河童の頭の周りのギザギザは髪の毛ではなく、

イエス・キリストが十字架に架けられ刑死する前に被せられた茨の冠、すなわち荊冠(けいかん)ではないか?と思うのです。


ルネサンス期の画家 ボッティチェリの描く『荊冠のキリスト』


 ユダヤ教は救世主メシアとしてのキリストを否定していますので、ユダヤ教徒の男性が礼拝堂に入る時に被る帽子にはこのギザギザがありません。


しかもこの円形の帽子の名前をキッパと言います。河童の皿と共通していませんか?

 キッパの意味は聖堂のドームのことであり、それがチャペルの語源になったそうです。


 そして先述した河童のお皿が常に濡れていなければならないのは、キリスト教のバプテスマ(洗礼)を連想させます。


 さらに日本における部落差別解消を目的とした水平社のシンボルを荊冠旗といいます。

 自らを犠牲にして人類の原罪を償おうとしたキリストにあやかって、全ての人の平等を目指したのです。



 6月15日に生まれ、京都に学び、全国を巡って医療機器を販売していた私が河童の研究を始めたのは障害者になる以前のことでしたが、後に北のエロ河童大王なる異名を冠せられることは必然だったと言えると思います。


 止まらなくなりますので、一旦終わります。

 自筆のイラスト以外の写真はお借りしています