もう何があっても驚かない(コメント欄の予知) | われは河の子

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昨日の記事でそもそも札幌さんとの因縁ができたもう20年近く前に長崎市の眼鏡橋で撮った写真とその元となった夢をご紹介しましたし、それには先行する長崎の原爆被害者の夢を見たという『74年目の来訪者』という記事があることも書きました。




 そして札幌さんはその双方の記事にコメントを入れてくださり、私もコメ返をしていたのですが、それを改めて確認して見ると


というやり取りをしていました。スクショ記事にもありますが、この2月25日の朝に見た夢の中で30年くらい前に仲間内での交際が途絶えて、その後消息がわからない男とは、先週の金曜日に消息がつかめ、メッセンジャーでのやりとりができるようになった赤ふんのCのことだったのです。


 これがたったの5日前のことですが、それがわずか半月ほど前に札幌さんと出会ったその時にすでに話題にされていたなんて、もう訳がわかりません。何があっても驚かないようになりました。


 これ以上書くのは盛ってるようであからさまに訝しいのですが、やはり昨日PTリハビリでリハビリ室に行くと5年前からの担当PTであるkさんが、5年前の入院中のクリスマス会で私がリハビリ室に寄贈した切り絵を出してきて見せてくれました。


埃を被って汚れてしまわないようにポリの袋でラッピングしてくれていました。題材は京都五条大橋の弁慶と牛若丸です。

 私は去年も3度もこの脳神経外科に入院しているのに、これまで一度も見せてもらったことはありません。それなのになぜこのタイミングでなんでしょう?びっくり

 何度も書いていますが、予備校と大学時代の通算5年を送った京都こそが私の青春の象徴に他なりません。


 そうしてリハビリが終わって自室に戻ってきて改めてスマホを確認すると、今度はその学生時代につるんで遊んでいたヨーコちゃんからショートメールが来ておりました。

 Cと連絡が取れた2日後にやはり数十年ぶりに連絡がついたヤッコが報せてくれたのです。


 そもそもヤッコは京都の女子短大のサークルで同期であるkちゃんともう一人のSちゃんとのトリオの親友同士で、互いのサークル同士の交流を通じて知り合った私とも仲が良かったのですが、実はその3人とも京都は通学圏内とはいえ、純粋な京女ではなく、翌年入部した妹分のヨーコちゃんだけが京都人だったのです。

 ヤッコたち3人は短大なのでヨーコちゃんとは一年だけ先輩後輩の間柄で卒業しましたが、四年制だった私はヤッコたちが卒業した後までもヨーコちゃんと、さらにはその一年後輩までとも交流を重ねていました。←鬼畜

 


左からヤッコ、Kちゃん、Sちゃんの3人トリオ


今度は左からヨーコちゃん、ヤッコ、Kちゃん


 そしてヨーコちゃんは卒業後ずっと独身です。

 なので私は京都への出張時代、何度かヨーコちゃんを呼び出して木屋町あたりで一杯やるデートに誘っていました。(やっぱり鬼畜の所業でしょうか?)


 引き寄せの暴走が止まりません。

 おそらくこの病院の磁場も手伝って、転院までの間にSちゃんからも連絡が来るのではないか?と思います。もう誰からの連絡があっても驚かないことにします😍