大学の1回生、2回生の時のクラスメイトにS川君という友人がおりました。彼は純粋な京都市民で、附属高校からエスカレーターで進学して来ました。
そもそもウチの附属高校はレベルが高く、京大、阪大を目指す者が多いということで、「エスカレーターで自動的に大学に来る者は落ちこぼれだ。僕は君たちみたいに過酷な受験戦争を潜り抜けて来たわけじゃない』と、大変自虐的な青年でした。
ところで1回生時には、一般教養科目の一つとして体育が必修科目だったのですが、私の学部ではクラスそのまま男女混合で授業が行われました。
実はS川君が出た付属校は何と中高一貫の男子校でした。
ですから彼はあたら思春期を小学校以来優秀な男友だちだけにまみれて過ごしたわけです。
彼の言う受験戦争に首まで浸かり、高校時代はいつも言うように暗黒時代だった私でさえ
夏には水着姿の女子と戯れることもあったのですが、彼はそんな免疫が一切ないままで、多感を通り越した19歳の春を迎えたのでした。
体育の授業は運動科目としては男女間にさほど体力差がないと思われる卓球に当たりましたが、その前に準備運動として、柔軟体操のストレッチを男女それぞれ組になって行います。
ストレッチといっても、現在毎日私がPTにしごかれている筋や腱を伸ばす悲鳴が漏れるようなものではなく、よくあるバディと背中合わせになって腕を組んで、相手を背中越しに釣り上げるものとか、開脚した相方の背中を押してできるだけ床に近づけるといったよくあるものです。
ところが、女体に免疫の無いS君にはこれがたまりません。
当時彼の相方は、3.4回生時に私と同じゼミに進み、結果私とは4年間の学生生活を共有し、40年が経過した現在でも仲のいい、背が高くスマートな美女のヨーコちゃんでした。
S 君もスリムな男でしたが、そんな2人が密着して互いに釣り上げたり、押し下げたりしていると、『あ、あかん鼻血が出る❣️』とか『アカン、ボッ○してしまう‼️』などと大騒ぎでした。
そんな純粋な京男のS川君には北海道のような未開地から出て来た粗野な私が珍しかったのか、クラスが解散してゼミに移行する3回生の春休みに2人で沖縄に旅行に行きました。
この何度も登場した写真の時のことですが、
私がビーチで声をかけた見知らぬギャルたちとちゃっかり肩を抱いて写真に収まったのに、奥手のS川君はシャッターを押してくれるばかりで、決して自分は女の子たちと写真に映ろうとはしませんでした。
そんな彼も今頃は幸せな家庭を築いて老後の悠々自適な生活を送っているのか、それともまだ現役でバリバリと働いているのかと思います。
正月から六度目の脳外科病院入院を果たしている身と比べたら、若い頃はともかく、どちらが幸運かわかりませんよね?
昨日一大決心をしたものの、結局いつものブログと変わらない内容になってしまいました。
こんな所に私が大成しなかった原因があるのだと思います。🤣