一九六七年のバタークリーム・クリスマスケーキ | われは河の子

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一九六七年のバタークリーム・クリスマスケーキ

 今井清賀 2022年 文芸社


 クリスマスに合わせて出版され、クリスマス前にはAmazonに発注していましたが、なぜか私の手元に現れたのが遅くレビューも遅れてしまいました。

(ニョウボが自分に届いた配送物だと思って私に渡さなかった🤣)


 著者の今井清賀氏は何を隠そう長年のブロ友である某氏。


 そもそもこれは椎名誠流のスーパーエッセイなのか、私小説なのか明確にはされてはいないが、長いブログの交流の中で読み知ったエピソードに溢れているし、氏の持つ本物のキャリアと学識には及びもつかないが、ほぼ時代を共有した世代として、甘く苦い記憶にビンビンと響くものに溢れていました。


 いわく、旧制中学校の伝統の上に胡座をかいていた地方の公立進学校(私はここで挫折したので暗黒時代ではありましたけど)




 これが暗黒だったと言ったら殴る?


 いわく『河野ビンゴ❗️』

(私はローラーゲームでは得点したジャマーがジャムの終了を宣言する腰に両手を当てる『コールオフ』のポーズが好きでした❣️)

いわく『呼び出し電話』と『ドリア』


 (私は下宿の大家さん宅では呼び出し電話を取り次いではくれましたが、こちらからの掛け電は禁止だったので、電話ボックスから自宅に電話をかけると父親が取る確率が高かったヤッコとなんとかデートの約束を取り付けて、映画『細雪』を観に行った後で河原町三条にあった洋菓子の不二家2階のティールームで初めてドリアなる料理を教えてもらった1983年6月)


 ヤッコと😍


 いわくレノンが射殺された日。(1980年12月9日 日本時間)

 私は予備校の寮で愛媛松山から来たカラス君が号泣していた姿を鮮明に覚えています。


 いわく『イベンダー・ホリフィールド』

 1997年のプロボクシングWBA世界ヘビー級タイトルマッチで挑戦者のマイク・タイソンがチャンピオンだったホリフィールドの耳を噛み千切って反則負けになった試合。


 そして昔のくどくてねっとりと重いバタークリームクリスマスケーキ🎂

 薄紅色と不思議な薄緑に彩色されたクリームで出来た薔薇の花や、散りばめられたアラザン(銀の粒)。マジパンで出来たサンタクロースをきょうだいで取り合った思い出。

 (大人になったらお腹いっぱい食べよう❣️)という憧憬めいた記憶は、大人になり、あるいは大人の年齢を過ぎれば、消化能力が落ちて、ワンホールどころかワンカット食べただけで胸焼けと胃もたれを起こすことなんて知る由もなかったころ。

 ちょっと遅めのクリスマス・プレゼントは得たものと喪った物の思い出に満ちていました❣️