先日、都内在住のお馴染みの甘楽からさんが、浅草の記事を上げておられました。
私はこの記事の中で紹介されている浅草文化センターで医療器の仕事をしたことがありますが、懐かしかったのは、やはり記事中に書かれていた日本最古のバー『神谷バー』です。
写真はお借りしました。
私は出張時代はほとんど休みが無かったですし、たまに休みがあると、車で名所旧跡を見に行くことが多かったのですが、大阪市内と京都市内は、翌月社内の誰かが使うための会場の直接予約申請に走り回らされて、会場営業しているより忙しい場合が多かったですが、都内の会場は電話やFAX予約で済むケースが多かったので、丸々休日に使えましたが、都内を車で走るのが億劫な上に、休日にかかる駐車場代は経費では落ちないので、車はホテルに止めたまま、電車で上野に行って国立博物館を見るか寄席に行くことが多かったです。そしてブラブラ歩きと昼呑み。御徒町のガード下の屋台や、浅草は昼呑みの街で楽しかったです。
今でこそ札幌にも立ち飲み屋や昼呑み居酒屋も増えているようですが、(今月やはりブロ友の空飛ぶ看護師ノンノさんと昼呑みオフ会を予定していましたが、私の体調不良でキャンセルしてしまいました。😭ノンノさん、年明けこそはよろしくお願いします😍)私が初めて昼間っから当たり前のように酒を呑む環境を見たのは、学生時代大阪のウメチカ(梅田地下街)の立ち飲み店でした。
もちろん学生時代からお酒大好きでしたが、まだ昼酒を飲む習慣はありませんでした。
話を戻しますが、江戸時代からの繁華街(遊郭吉原が近かった)の面影を残す浅草の、昔の文人も通った最古のバーで飲む昼酒は最高でした。
詩人萩原朔太郎もここで酔いました。
名物はブランデーベースにリキュールを混ぜたオリジナルカクテルである《電気ブラン》です。
甘口だけどアルコール度数の高いこの酒を、生ビールのジョッキをチェーサーに飲むのが常連さんたちの飲み方です。
2枚の写真はお借りしました。
「北海道から来たんですが最高ですね❗️」とスタッフに言うと、『電気ブランは北海道で作っているんですよ❣️』と教えていただきました🤣
明治時代にこのバーを開いた初代の神谷傳兵衛氏が後に旭川に焼酎工場を作り、それが我々道産子には馴染みが深い株式会社『合同酒精』になり、現在でも道内の工事で当時のレシピのまま『電気ブラン』を製造しています。(そういえば道内の酒屋さんではよく2枚目写真のボトルを見かけました)
因みに電気とは、明治時代にハイカラの象徴だった言葉なんだそうで、ブランデーベースのこの強い酒をグイッと飲むと頭がビリビリすることもあってこの名前が付いたそうです。
合同酒精は現在では株式会社オエノン・ホールディングスの傘下企業であり、オエノンでは、20年ほど前に銀座の飲み屋でブームになった紫蘇焼酎『鍛高譚たんたかたん』や、道産子の定番甲類焼酎の『ビッグマン』や地酒『北の誉』なども作っていますし、同じくオエノンの傘下には、やはり神谷傳兵衛が茨城県に作ったワイナリーで、現日本遺産の『牛久シャトー』などもあります。
私の昼呑みは初夏から夏にかけて、自宅の庭にパラレルを立てて、その下で本を読みながら傾ける一杯が最高ですね❣️