最後の一撃 | われは河の子

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 最後の一撃 エラリイ・クイーン 1958年

 ハヤカワミステリ文庫 1977年


事の発端は1905年1月に遡る。

新年をニューヨークで迎えた出版社社長ジョン・セバスチャンは出産を控えた妻を無理に車に乗せて家に帰ろうとして、大雪で車を横転させてしまい、瀕死の妻を事故現場近くの田舎医の元に担ぎ込む。あまり流行っていないその田舎医師とその妻は、出産が非常に危険な事を告げた上で、間も無く出産が始まることを予告してジョンを診察室から遠ざける。なんとか無事に男児が出生したものの医師はジョンに妊婦の腹中にはまだ赤ん坊がいたことを知らせ、次の男の子も生まれたが母親は命を落としたことを報告した。

 ジョンは最初の子は嫡子として認めるが、次の子は妻を殺した悪魔であり、絶対に認めようとはせず、子どものいなかった医師夫妻に差し上げるという。さらにその子のために委託資金を設けることを医師に約束し、帰宅後弁護士に自分の唯一の息子ジョンが25歳になった時に全財産を相続させる遺言書を作らせるが、その後事故の後遺症で死亡してしまい、医師との約束も果たされることがなかった。


 さらに25年後のクリスマス休暇、その年自分が関わって解決した『ローマ帽子の謎』事件を小説化して作家デビューしたエラリイ・クイーンは友人で素人詩人のジョン・セバスチャンに、彼の後見人邸でクリスマスから彼の誕生日まで12日間にわたって開催されるパーティに招待されてそれに参加する。

 そこにはエラリイの本を出版してくれた出版社の社長や、ジョンの婚約者と占星術に凝り固まっているその母親、ジョンの亡父の共同経営者であり、ジョンとは兄妹同様に育った後見人の美貌の姪と、その顧問弁護士、さらに若き作曲家や女優、そして医者に牧師と多彩で一癖ありそうな者たちも集められた。主役のジョンと主人である彼の後見人を含め、使用人を除くパーティのメンバーは12人であった。


 やがてパーティの冒頭で正体不明のサンタクロースが現れ各人にプレゼントを配って歩く。

 それは女性にはブローチ、男性には紙幣挟みで、それぞれの誕生星座をモチーフに作られた特注品だった。

 サンタクロースの正体に思い当たる者はおらず、また折から降りしきる雪の中、外から邸内に入って来た足跡もなかった。


 その夜、クリスマスツリーの下にクリスマスソング『クリスマスの12日間』をもじった意味不明な詩と共に作りかけの家の模型と小さな牡牛とラクダのフィギュアが入っていた。この怪しげな悪戯めいた贈り物はその後11日間続くことになる。


 さらに2日目に、邸の図書室でみすぼらしい身なりをした老人が背中にナイフを突き立てられて殺されているのが発見され、通報により警察が介入する。

 この老人も誰にもその正体がわからず、見当もつかなかった。先のサンタクロースと2人で押し入った強盗が仲間割れを起こして殺されたのであろうという仮説が立てられるが、邸は広く使われていない部屋が山ほどあり、大捜索にもかかわらず、消えたサンタクロースも殺された老人の正体を示唆する物も発見されなかった。


 その後夜毎に不思議なプレゼントは届き、どうやら当日にジョンとなんらかの関わりを持った者の手により発見されるようだったが、贈られて来る雑多なアイテムや時折詩のカードの裏に手描きされた記号のような物との関連性もわからない上、あり得ないような恐喝や恋の鞘当てが幕間劇のように挿入されるが、不思議なことにジョンは時たま謎の記憶喪失を起こしたり、エラリイは同時に別の場所でジョンに遭遇したりする。


 そして13日目に新たな殺人が起こるが死者はよみがえり、驚くべき裏の意図が語られる。

 しかしながら贈り物の謎と殺人犯は明かされることはなかった。


 それから27年の月日が流れ、名探偵としてもミステリ作家としても偉業を成し遂げていた50代になった老境のエラリイは、ひょんなことから大昔の未解決事件に再び関わることになり、その蓄積された経験と知識から、答えは最初から彼の前にあったことを知り、事件を解決する。


 ミステリ黄金期を支え本格謎解きミステリの巨匠して知られるエラリー・クイーン(ハヤカワ書房ではエラリイと表記)は、そもそも1905年生まれの同年齢の従兄弟同士が合作作者として1930年に『ローマ帽子の謎』でデビューしたが、作中の名探偵にして推理作家のエラリー・クイーンも同じ年生まれで同じ年に同名作品でデビューしたという設定になっており、架空の探偵と実作者がクロスオーバーするメタ・ミステリー(入れ籠構造)を地で行っており、本格派ミステリにおいて数多の実験的手法とトリックを駆使して来た従兄弟同士が30作目の長編として本作をもってシリーズを終わらせようとした節を感じさせ、読者は四半世紀ぶりに若き日のエラリイと再会すると同時に,富豪の遺産を相続する若者や謎のメッセージ、クローズドサークルといったクイーンの昔ながらの手法にも触れることでなつかしみを覚える。


 1977年にクイーンの片割れであるダネイが最後の来日を果たし、版権を持つ早川書房により大々的なクイーンブームが展開され、それまで同社のポケット・ミステリシリーズに入っていた諸作が続々と文庫化された。同年に文庫化された本書もその一環で、中学時代から初期の国名シリーズや、X.Y.Zの悲劇などのレーン四部作を制覇していた私はこの時のブームに便乗して次々と出版された文庫本をコンプリートして、以来すべて三読以上しているのだが、当時作家生活30年近く経過して、作品中では老境として描かれたエラリイの年齢を自身が上まわってしまった現在では、当然ながら稀代の名探偵のような記憶力は持ち合わせておらず、まったく内容も犯人も覚えていなかった。

 あまり印象の良くない冒頭の悲劇のエピソードそのものが罠として使われている手法にはさすがに舌を巻くが、本格謎解きミステリとはある意味コジツケの世界であるから、解決編を読んだ後では『そんなの知らんがな⁉️』としか言いようがない。まして文化が違う日本人一般読者にそれを見破ることはほぼ不可能であろう。逆にいえばクイーンがデビューした時代の経緯や社会性を知っているアメリカの読者にはわれわれ以上に膝を撃つものがあることだろう。


 私もミステリマニアとしては45年くらいのキャリアを持つことになり、少年〜青年期にはクリスティもカーももちろんクイーンも健在であり、横溝正史などはまだ新作を発表していた。もちろん松本清張もまた健在であり、その後に勃興する新本格派を初期の島田荘司や綾辻行人から読めたことは僥倖であった。


 まだまだクイーンの再読シリーズには事欠かないし、2020年に書かれ,今月翻訳版が出されたアレックス・ベールの『狼たちの宴』も満を辞して控えている。


 雨続きの毎日だが、本を読むのに雨は関係ない。