スベった話 | われは河の子

われは河の子

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連日大雪の様子をお伝えしておりますが、



 昨日は東京23区内や千葉にも大雪警報が出たほどの全国的な降雪で、私の片麻痺仲間やブロ友の湘南マダムズたちも時ならぬ大雪にはしゃいでいた様子がみなさんのブログから伝わってまいりました。

 滑って転んだ人はいらっしゃいませんか?

 特にわれわれマヒーズには歩行がおぼつかない人が多いので気になります。


 そんな中で、いつも楽しい写真や動画を紹介してくれるアッキーセブンさん(かつて私の顔にそっくりな帽子を被った家の写真をアップしてくれた方)が凍結路で滑りまくる犬の動画を上げていたので思い出しました。


 これも何度も取り上げていますが、1980(昭和55)年、私は高校3年生の時の大学受験に失敗して京都の2流予備校に入学し、その予備校が委託契約していた比叡山のふもと、洛北八瀬の地にある木造二階建ての叡六荘という寮に入りました。


 その時の入寮契約書です。どんだけ物持ちがいいんだか?🤣


 八瀬の地は、天武天皇元(西暦672)年に起こった壬申の乱で後に勝者となり天武天皇として即位する大海人皇子が戦乱で背に矢を受けた傷をこの地の釜風呂で癒したことから矢背→八瀬という地名発祥地であり、この村落の住民は古来八瀬童子(やせのどうじ)と呼ばれ、天皇の葬儀の時に棺を担ぐ役を命じられていた人々で、仏教で禁忌とされていた死穢に携わる者としての一種の被差別民であったと考えられ、日本民俗学の祖である柳田國男にして「鬼の子孫」と言わしめたという、北海道出身者にとっては信じられないほどの悠久の歴史を待った土地でありました。


 寮は現在の叡山電鉄叡山本線の終点八瀬比叡山口駅(当時の京福電鉄叡山線八瀬遊園駅)から大原方面(北)に約1キロほど上ったところで、国道(鯖街道)を挟んで鴨川の源流のひとつである高野川の清冽な流れがあり、40年前は夏はそこで泳ぐことも出来ました。


 終着駅隣には、当時京福電鉄が経営する八瀬遊園地があり、夏場は野外プール、比叡下ろしがモロに吹き付ける冬場はそれがスケートリンクになっていました。

 あれは運命の2度目の受験を2ヶ月後に控えたその年の暮れ、正月も帰省せずに寮に篭って勉強していた仲間たち5〜6人で、スケートをしに行こうという話になり、寮からゾロゾロ歩いて八瀬遊園地に向かいました。

 京都の2流の予備校の寮に入ってくる浪人生たちは、情報の多い関西の大都市圏の人間はほぼおらず、京都府北部とか北陸、紀伊半島、中国から四国あたりの出身者ばかりでしたが、さすがにスキーをやったことはなくてもスケートの経験者は意外と多く、京都府綾部市出身のコバヤシ君などは私より上手いくらいでした。

 受験生なのにスベッていいのか⁉︎とは誰も言い出さなかったのでしょうか?


 そしていよいよ年が明けた1981年元旦、私と岡山出身のキシモト、松山出身のカラスの3人は初詣と称して、寮と叡電駅の間の急斜面に立地する寺にお詣りして、その斜面を階段状に整備した墓地で、ちょうどお墓に供えられたお供物を朝食として漁りに来る猿の大群に取り囲まれ、命の縮む思いをしましたが、その後「厄落としをしよう!」「スキーに行こう⛷!」という訳のわからない発想になりました。

 当時比叡山山頂直下に夏場はグラススキー、冬場は人工雪を利用した比叡山人工スキー場というものがありました(2002年廃業・閉鎖)

 そこは現在でもある叡電駅直結のケーブルカーを利用して山頂まで行くと徒歩で直結していました。

 そこで受験が目の前に控えているというのに正月からレンタルスキーを借りて遊びました。


 比叡山人工スキー場跡地の様子木立ちのてっぺんに見えるのが山頂展望台です。

 写真はお借りしました。

 さすがに普段雪を見ることすら少ない地方出の2人はスキーをするのは初めてでしたが、

 ご覧の通り緩斜面の1コースしかないゲレンデだったのと、コーチがよかったせいで、昼過ぎには覚束ないながら屁っ放り腰のボーゲンくらいはできるようになり、1本しかないリフトにも乗れるようになりスベりまくりました🤣


 雪の降る夜中に静岡県清水市出身のヒラオカと和歌県御坊市出身のシオジに叩き起こされ「雪だるまの作り方を教えてくれ」とかいう馬鹿げた頼みをされたりして楽しい?浪人生活を送りましたが、前記のスケートに行ったメンバーを含めて、期待の2度目の受験は、第一志望校に受かった私と、京都産業大学に合格したカラスを除いた全員が全滅、ニ浪の憂き目を見ました。滑りまくりのバチですね🤣


 そして4年後、無事Uターン就職・卒業が決まった私が、叡六荘の寮母のおばちゃんちゃんに挨拶しに行こうと思ったら、おなじみの大学サークルの2期先輩のS姉が付いてきてくれました。

 おばちゃんは、てっきり私が恋人か婚約者を連れてきたと思ったことでしょう。

 その後懐かしのケーブルカーに乗って比叡山山頂に立ちました。


 S姉は、この前年の夏に突然乳癌を発症し、乳房切除の手術を受けました。私は就職活動の傍ら毎日のように大阪・堺の病院に見舞いに行きました。

 当時まだ20代半ばの回復力は凄まじく、わずか半年後には長野県まで一緒にスキー旅行に行けるくらいまで元気になりました。


 2人きりで行った訳じゃないよ‼️


 しかし私の卒業2年後、転移再発してあっという間に亡き人になってしまいました。


 比叡山山頂が、2人で撮った写真の最後になってしまいました。

 滑りまくりの青春時代の思い出でした。