深夜から未明にかけて嵐のような暴風が吹き荒れておりました。あまりにも風の音が強くて、雨が降っているのかは確認できませんでしたが、昨夜寝る前から気圧がどんどん下がっているのを麻痺側の左半身のピリピリとした痺れで実感しておりましたが、いつものように朝4時に起きた段階では顔が腫れて左目がほとんど塞がった状態で、(実際には杖を突いて居間とトイレまで行けたのですから目が見えなくなっていたはずはありません)結局、今日の作業所勤務はお休みしてしまいました。
二度寝して起きたらすでに午後2時過ぎで、外は台風一過のような青空が広がっておりました。
低気圧は去った模様です。
見るとテーブルの上に何やら私宛のハガキが置いてありました。
おおこれは、ブロ友の甘楽からさんがブログにて予告してあった「勝手にプレゼント企画〜❤️」の当選ハガキではありませんか⁉️
上野動物園前のパンダポストから投函した郵便には西郷どんとパンダの消印が押されるというレアなサービスに、わざわざポケモン切手まで貼って投函してくれたものがはるばるお江戸から届いたのです。
からさんありがとうございます😊愛しています💕
そもそも昭和の時代、北関東以北の住人にとっては、東京イコール上野でありました。集団就職の列車が到着した時代は知りませんが、あの東北弁の飛び交う上野駅のコンコースとホームの喧騒こそが東京の象徴でありました。
平成に入っても、東京への用事や出張で、一人時間ができた時も、私の行動範囲はせいぜい水道橋、後楽園から神田の古書店街、あるいはやはり上野に戻って鈴本演芸場で寄席を見るか,アメ横の屋台で昼酒を飲んでから国立博物館を見るかなどに決まっておりました。西郷どんの下の階段にたむろして違法テレカを売っていたイラン人たちはどこに行ってしまったのでしょうか?今ごろは国に帰ってISIS(イスラム国)の武装兵力となって略奪と殺戮の日々を送っているのだと思います。レストラン聚楽はまだやっているのでしょうか?
そういえば,最後に東京に行ったのも、青森市のデパートで仕事を終えた翌日、次の仕事先の金沢に移動するのに1人だけ飛行機も新幹線も使わずに、10時間くらいかけて高速バスで上京して上野に到着後田町まで移動してブロ友さん2人と2時間だけミニ宴会に臨み、また上野発金沢行きの高速バスに乗って翌朝6時に金沢に到着して、その日飛行機で北海道から到着するドSのSさんをホテルのロビーで待ち続けたという地獄の思い出でした。(泣)
そんな東京の空気がレインボーカラーで描かれたパンダ🐼のイラストと共に舞い込みました。
今朝からの不調もステキなプレゼントを見て吹き飛びました❣️